ようやくまとめです。
結論として、大学を卒業するころの学生は
・何を目標にして
・どれだけ稽古をして
・何を基準に判断すれば
よいかわからなくなってしまうことが多いのだと考えます。これはきっと大学生に固有な問題ではなく、一般の道場で稽古される方にも一定の時期が来れば訪れる問題なのでしょう。
前にいた道場でも、二段をとった頃から自分の技や稽古に自信が持てずに苦悩する人は何人も見ました。
あ、こんな書き方をすると偉そうに見えるので言い訳しておきますが、私自身は今でも同じ悩みを抱え続けています。
悶々とする合気道人生です。
で、上記の悩みは誰にでも訪れるとして、その上で大学生の場合それを解消・緩和してくれる先輩に恵まれるかどうかが重要な要素になっていると思います。
中にはそうした先輩なしにこのトンネルと潜り抜ける(それを讃えて武道家と呼んでもよいかもしれません)人もいます。
でも、その苦労は並大抵のものではありません。加えて、自力で抜け出た人は他人の悩みが必ずしもわかるわけでもなく、場合によっては自力でトンネルを抜けたために苦しむ人の気持ちはわからない場合もあるかもしれません。まあ、それは別の話なので置いておいて、悩んでいるときに救いの手がさしのべられないことは追い打ちになることでしょう。
悩みは尽きない、それを緩和してくれる人もいない、となるとだんだん積極的に稽古をする気持ちはなくなってきがちです。
そんな状態で苦しんでいるよりも目先を変えて新しいこと(例えばテニスやゴルフなど)に挑戦した方が目標が明確で楽しい、と感じるかもしれません。
また、稽古で汗を流してお酒を飲むことに楽しみを見出すかもしれません。
ただ、どちらにしても「稽古」という本筋に楽しみがおけなくなってしまえば、あとは脱落するのは時間の問題です。
社会人になって仕事はじめ新しいことにチャレンジする楽しさを手に入れたり、稽古という苦悩の陰のない飲み会ができるようになれば、そちらの方が気楽で楽しいので次第に稽古から離れて行ってしまう。
それが、多くの大学生が社会人になって合気道から離れていく理由ではないかと思っています。
私自身も大学生と稽古を続けて20年以上になるので、そういう学生をたくさん見てきました。
結論としては、しようがないかなと思っています。
もちろん、ともに稽古をする仲間が減ることはこの上ない寂しさがあります。
でも、悩んで苦しんでいるよりはそれから解放された方が本人にはよいに違いありません。
それでも、同じ部活で汗を流した縁は消えないわけですから、同窓会のような機会を持てることも大学の部活のかけがえのないつながりの一つだと思います。
苦しんでいるとき、私に言ってくれればよかったのに、と思うこともありますが、一旦長いトンネルに入ってしまうとなかなか力を貸すこともできません。
それも運命なのかもしれません。
そういう意味では、今一緒に悩みながら稽古をしてくれる道場の人達に未熟ながら力になれればと思うと同時に、どんなことでも言ってもらえれば一緒に悩むから、と言いたいです。
そして、何よりもそうした悩みを共有できる仲間のありがたさをかみしめつつ、今悩んでいる人達にもさらに次の人達の支えになってもらいたいと思っています。
と、これで一応終わりかな。