以前、合気道のような柔術は理合がとても大切だ、ということを書きました。
ただ、
「理屈が分かれば大丈夫」
「理屈通りやっていればできるようになる」
と思い込む勘違いをしてしまいがちだと思っています。(大学生なんかに多そうな気がします)
と書くとさらに勘違されそうなので、丁寧に言うと
・理屈を理解してそれにしたがって稽古を続ければ必ずできるようになる。
は正しいと思います。
しかし、この論理には「理屈を理解する」「それをゆがめずに稽古する」「さらに進歩を確認しながら確実に上達する」を欠くことなく継続することが大事です。
例えば「こうやればいいはずだ」と思っていた理合そのものが実は違っていたりすると、間違った稽古をしばらく続けることになりその分上達は遅れます。
これはよく初心者で本を読んで理論を理解しようとする人に多くみられる例です。やはり体術である以上、一定の稽古をつんだ人でなければその理合が正しいかどうかは判断できないと思います。 生兵法・・・というやつです。
また一旦正しい理合を学んでも、稽古を続けているうちにやり方を間違えたり、我流に走ってしまうこともよくあります。常に理合が正しいか、稽古法が正しいかを確認しながら稽古することが必要であると考えます。
加えて一つの技術を理解しても、それを延々と繰り返しているだけでは不足している場合もあります。それぞれの技術の段階に応じた稽古をやらなければ、不必要な足踏みをすることもあるかと思います。
どれ一つの条件をとってもかなり難しいものだといつも痛感しています。
先人は長い年月をかけてそれを身に着けてこられたのであり、道のりの長さを感じます。
言いかえれば「自分だけでも理屈通りやっていればできるようになるけれども、何年も、何十年もかかってしまう可能性も大きい」と思うのです。
合気道を始めて四半世紀以上経ちますが、未だに自分の稽古が間違っているのではないか、と日々びくびくしながら稽古しています。
武道の道のりが長いものであることは間違いありませんし、一朝一夕に上達するものでないことは論をまちません。
また、遠回りすることが時に大切な意味を持つことも重々理解しています。
それでも、少しでも早く上達していきたいというのが人情だと思います。
特に、若い人と稽古していると、彼らとの「持っている時間の猶予」の違いに焦りを感じることもよくあります。
少しでも遠く高く進むために、わがままかもしれませんがちょっとでも効率よく稽古したい。
私以上に、道場生で歳をとって(失礼な表現かもしれませんが)から始めた人にとっては切実な問題でしょう。
なかなか簡単にはできないことですが、日々意識をしながら稽古をしましょう。
先生より20年近く遅く合気道を始めたため本当に焦っています。
この20年は時間だけでなく、体力、記憶力、順応力、全てにおいて若い頃より衰えているため、この差が10倍にも20倍にも思えます。(もっとかな?)
特に私は子供と同じ時に始めたため、いつか子供に・・・と思ってしまいます。
最近は子供達の上達が早いので余計に感じてしまうのでしょうか。
でも、まだまだ子供に負けれません。
一生懸命稽古してあがいていきたいと思います。
自分では何が正しいか、ちゃんと出来ているか、分からなくて悩んでしまいます。
基本動作一つとっても。
昨日息子と稽古しましたが、彼が悩んでいることにも答えられないし、
自分もうまく出来ているか分からなくて、
こうじゃないかなと思うんだけど・・・という感じです。
物足りない稽古だったろうと申し訳なく思います。
教えてもらった時は分かったように思うのですが
後日やろうとするとちゃんと理解できていない状態で、
しかもわたし自身が余計などうでもいいことに惑わされていたりするものだから
中途半端な状態で嫌になります。
持っている時間、確かに少ないと思うのですが。
有効に使うためにもっと意識をもってと思うのですが。
すみません。
いえ、お二人ともしっかり意識をもって稽古されていると思います。
もちろん、昔ほど早くは身につかないでしょうが、しっかり稽古していれば、そんなに遠い話ではないと思っています。
前向きに頑張りましょう!
五月は技術強化月間です。