「身体についての考察【難】」カテゴリーアーカイブ

身体の使い方・作り方を考えてみる

修武館 忘年会

午前中の師範稽古も終わり忘年会会場に移動です。
田中先生、奥様、先生と私の四人でタクシーで移動。東京は時間帯でほとんどの道路が右折禁止になります。クルクルと回ったら右も左もわからなくなりましたが、割と早く到着しました。

何とワインバーを貸切です。オシャレです。

メインテーブルで田中先生、奥様と数名の人達と先に喉の渇きを潤しながらお話をさせていただきました。四年前は田中先生の前に居座るだけで真っ白になり、何も覚えてない状態でしたが、最近はやっとお話ができるようになってきました。

参加者はなんと50名以上。貸切なのに店が狭く感じます。

今回も大勢の方とお話出来ました。
東大の先生、現役の学生、台湾から稽古にみえた方・・
燕尾剣さん(でいいでしょうか?)の前職には驚きました。

今回ビンゴでなんと田中先生の書のフェイスタオルが当たりました。そして・・・今度道場でMightyさんとお話します。

宴たけなわの中、忘年会は終了しました。もっといろんな方と話がしたかったです。もっと東京に行きたいですね。

二次会は20名程で近くの居酒屋です。

先生とMightyさんは沈没。( ̄▽ ̄)

三次会に続く・・・

技の備忘録

今日稽古の際に自然体T君に「こんな技を習ってきました!」
と教えてもらった技が「なるほど!」と思ったので
備忘録代わりにアップします。

一応読めるようには書くつもりですが、備忘録なので多分よんでもよくわからないと思います。
すみません。

形は片手取りあるいは両手取り
外形的には崩しを行う手を
体側(腰のあたり)につけた状態で
指先を下に向けた状態で内回り(時計の反対回り)に捻る(回転させる)

崩しを行うための空間スペースの確保を意識。
引くのであれば空間の確保はしやすいが、手の位置をそのまま固定する場合は空間が作りにくい。
相手との結び(つながり)を意識しながら、引いた時と同じ空間の広さを相手側に確保するように当て込む。
その際には当てた状態を維持しながら押し込むのではなく、つながった状態を維持しながらタイミングよく軽く相手側に空間をずらし込む感覚で。
全体の大きな感覚は以上のような感じで、接触点の感覚としては接触面が滑らないように回転させる。
ほんの少し擦る(当てる)感覚がよいのかも。
全体の動きをタイミングで行うと、接触面が離れてしまいやすいので、空間を作り出すタイミングを回転のタイミングを一致させて、全体としては押し込まないようにしながら、接触面の繋がり(摩擦)を維持する。

よし、これで見返した時に自分にはわかるぞ!
ありがとうT君。

柔らかいモーメントと偶力

最近T君がはまっている稽古。

相手との繋がりが途切れないように相手を誘導して投げるとというものですが、少しまとめてみようかなと思います。
多分訳が分からない文になると思いますが、T君以外のどなたかコメントをいただければ幸いです。
Noriさんの名前も出てくるのでよろしくお願いいたします。m(__)m

最初の接触の瞬間に一番気をつけたいと思っていることは、受けの力の方向と自分の力の方向のベクトルです。
人間の身体は身体の中心軸に末端部である腕が接続している構造をしているので、受けが力をかけてきた場合(垂直方向については別として)水平方向についてはモーメントとして考えることができると思います。
合気道における動きの基本は円運動なので、最初の瞬間に相手の力が回転方向に変換されない力のぶつかり方、すなわち自分の末端と中心軸を結ぶ線分=腕の方向にベクトルが衝突すると、唯一の例外として受けの力は回転方向に変換されず直接自分の中心に向かってくることになります。
とはいえ、これは全円周角において360分の1の確率程度でした起こらないことなので(ただし程度の問題で実際には上記の方向でぶつかる場合+ー15度くらいは動かなくなってしまう気がする)、実際にはまずありえないのですが、意外とこの方向に力がぶつかってしまう人は多いと感じます。
特に体幹の中心から外部に向かって力を意識していくNoriさんのようなタイプは、自分の力が一番出しやすい方向を模索した結果、例外的方向に力が衝突することは多いのではないかと思います。

さて、この線を外した場合受けの加えた力は直線から回転方向に変換されるわけですが、その力をどのように処理するかが次の課題です。

ここで一番イメージしやすいのは偶力を考えることだと思います。とはいえ、偶力自体は本来中心点に対して反対方向に加えられた2力の問題なので、現時点で受けのみが力をかけている場面とは厳密に言えば状況が異なります。合気道の場合、受けがかけた力をF1とすると(未だ加えられていない=自分がかけていない)偶力になる力F2をイメージします。
このF2の力を感覚的に探り取って偶力となる方向に力をかければ、受けは自ら望む方向に力をかけ続けながらその力が相手に伝わらない状態に陥ります。これを自分の視点で見れば相手とぶつかる力を使わずに相手の力をいなすことができるわけです。
と、ここまで簡単に考えてみましたが、実は偶力を用いようとした場合最も困難な問題が「中心点の設定」だと思います。自分の手首を相手が握ってモーメントの力F1が働いている場合、中心点として最も明快な点は自らの中心軸です。ただし自らの中心軸を中心点とした場合偶力になる力F2は反対の手や腕の位置から加えることになります。それでいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、今掴まれている手と異なり何もされていない手は力をかける対象物がないのですから端的に「押す」という動作はできません。となると使える力は遠心力ということになるわけですが、遠心力で受けの押してくる力と釣り合いをとろうと思うとよほど速い回転速度で大きな遠心力を得るか、F2の位置を中心軸から遠くするようにしなければなりません。そうなると必然的に回転の半径は大きくならざるを得ないと思います。
時々T君がとても大きな転換や回転運動で技をかけているのはこの現象ではないかと考えています。
つまり、身体の中心軸を中心点とする円運動による制御はかなり困難だと思われます。

では他にはどんな方法があるかと言えば、相手の掴んでいる点と自分の身体の中心軸の間に中心点をつくることです。これは非常にコンパクトに身体を使うことができるのと同時に相手を小さな動きで誘導することができて私は好きです。
ただし、こちらはこちらで非常に難しい点があります。先ほどの身体の中心軸を中心点とする考え方は、稽古を続けている人なら誰でも無意識におこなうことができる動きです。しかし、自分の身体の中心軸以外に、さらには自分の身体の体幹の外側に中心点を設定してその中心点に対して偶力F2を働かせることはかなり意識が重要になります。身体の外に点を設定する意識は、いつも稽古の時に意識する空間上に手や身体の一部を固定する意識と同じだと思います。そこに意識上の中心点が存在することを意識しながら反対側に力をかけるようにするのです。
次に力のかけかたですが、私自身は(未熟さもあるので)やはり力といって一番有益なのは体幹全体を使って腹から押し出す力だと思っています。この力は身体の末端である手の力に比べてはるかに大きいので、F1F2 しかも圧倒的という関係が成り立ちます。そのため、仮想の中心点と二つの力の距離関係については中心点からF2の距離の方がかなり短くても大丈夫だということになります。
私自身は十分に体幹の力をのせられると感じる場合は、今述べた距離の比がかなり偏った点を中心点として設定します。具体的には握られた手首のすぐ横当たりをイメージして動くようにしています。

実際には手首を掴まれて押し込まれた際に、掴まれた手首のすぐ横を中心点=不動点として意識し、偶力の関係になるように相手の負荷に相当する力で転換を行い相手の力を流します。そして力が流し終えた終点(ここでいう終点は自分が出したF2仕事量と受けのF1仕事量の和が等しくなった地点)で自分自身の力を相手の力の作用線(F1の方向)に負荷として加える感覚でおこなっています。いかがでししょうか。
とはいえ、こんな風に理屈で考えることを身体で体得しないといけないのが一番難しいんですけどね(笑)。
とりあえず理屈を理屈っぽく考えてみるってことで。

あ、すごく長くなっちゃった。

技と鍛錬

この手のことを書くのはすごく久しぶりな気がします。

普段の稽古ではできるだけたくさんの技や色々な術理や体の使い方を稽古しています。
また私の流儀として、技のスタイルを固定しないので、色々なゲストの方にその人のオリジナルで稽古をしてもらうことも多いです。

ただ、私自身の技の基本的なスタイルは学生時代からずっと師匠に教わった形にあります。
接触の瞬間を何よりも重視して、当身をしっかりいれて相手を崩し(制し)しっかりと技をかけます。
実際に先生の稽古に参加したことがある方は見れば明らかな、非常にわかりやすい形の合気道です。

こう書くと、「じゃあ普段やっている稽古はなんだ?」といわれるかもしれません。
でも普段の稽古はとても大切だと考えています。
先生に技をかけていただいたことがある人はわかると思いますが、先生はほとんど力を使いません。
考えてみれば現在87歳になられているわけですし、物理的に力があるはずがありません。
にも拘わらず圧倒的な力を感じます。
それは技の精度が圧倒的に高いからです。

しかし、先生の技には大きな欠点があります。
もちろん、先生の技に欠点があるわけではなく、その見た目にですが。
それは、先生は力を使われないが、見た目が同じ(先生がかけているのと同じように見える)ようにするために、弟子が力任せで技をかけてしまうことがあるのです。
相手が初心者であったり、きちんと受けてくれる人であれば、これでも技は十分かかります。
けれどもそんな技をやっていてはいつまでたっても上達はしません。
例えば呼吸投げで、受けの手が切れそうになったときには先生も手を掴みますが、それは手の繋がり(結び)が切れないようにするためであって、決して相手の手を掴んで放り投げるようなことはしません。
でもそれを見た弟子の中には勘違いして掴んで投げればよい、と思ってしまう人もいます。
そうすると、早い段階で技の上達が止まってしまいます。
同じように手が触れていても、意識が全く異なれば、全く違うものになると思います。

また、先生の足はどっしりと動かずにいるように見えますが、実はこれも大きな間違いです。
長年の修練で、理想的な位置に迷うことなく移動しているのでほとんど動いていないように見えるのです。
実際には非常に大きくかつ柔軟に下半身を使われています。

私が普段の稽古で足を動かすことと、柔らかい動きを重要視するのは、目的とする技をきちんとかけることができるようになるためです。
言葉を分けるのであれば、技の練習に対して、体を練る鍛錬と言ってもよいかもしれません。
「技の形」と「身体作り」の二つは両輪であってどちらが欠けてもいけないと思っています。
一見全く別のことをやっているように見えるかもしれませんが、自在に動く身体を作り上げて、それを技と結び付けていくことで見た目だけでない「正しい」技ができるようになると考えています。

達人様々

今日の稽古の記憶がなくならないうちに。
最近ありがたいことに、毎月田中先生と佐原先生の稽古に参加させて頂いています。
稽古の中で私が感じることを書いてみようかな、と思います。
一応色々な方面に配慮してメンバー限定ということで。

まず田中先生について私の感想ですが、
ともかく体幹が強い!
個人的にあまり100%とか絶対とかいう言葉は使いたくありません。
でも、田中先生の技を受けると「絶対的な体幹」というものが存在するんだということを嫌というほど痛感させられます。
体幹が絶対的なので、相手がどんなにがっちり持ってきても、力があっても揺らぐことがない。
齢87歳にして私が全く歯が立たない理由はその絶対的な体幹にあると思っています。
正直この体幹の強さは鍛錬で養えるレベルを超えているような気がします。
おそらく若いころはその体幹の強さに合わせて、膂力もあったでしょうから、本当に強かったのだと思います。
先生は現在の御自身をすっかり年老いたと嘆かれますが、体幹の強さは相変わらず健在です。
よくわからない人は副館長代理補佐さんとMightyさんに聞いてみてください。
先生を拝見していて励みになるのは、いくつになっても体幹の強さは衰えないものだ、ということです。
もちろん、継続した鍛錬が必要になることは当たり前ですが、若い力に対抗できるのが体幹の強さだと感じます。
それを鍛えることで若さに負けない強さを身につけられると思えば、これから先の稽古の励みになります。
ね、RAHさん。
現在の先生の技はその絶対的な体幹に「無駄な力が入れられない」状況の絶妙なバランスだと思います。
往年の力が無くなった今、却って体幹以外の部分に力を入れない、という感じで動かれています。それがまたとてもいやらしい。
一生懸命持ちにいっても、末端に力は入っていないは、体幹は崩れないわ、どうしようもありません。

次に佐原先生の技は
ともかく動きがやわらかい。
とはいえ、単にやわらかいのではなく、軸が非常にしっかりしている。
軸をしっかりと保ちながら、柔らかく自由に動くことで力を使わずに相手を制する。
指導を受けると、接点のセンサーを意識することを言われますが、そのためには自身の体が非常に柔軟かつ自由に動く必要があります。
しかし、動けば動くほどバランスを崩すのが人間です。
自由に動きながら軸を安定させる、非常に難しいことです。
佐原先生は柔らかく動かれながら軸を安定されていますが、静から動、柔から剛へ瞬時に転換する瞬間があります。この瞬間に田中先生と同じ体幹の強さを感じます。
強いて違いを述べるのであれば、田中先生の体幹が基質として体自身に備わっているものだとすると、佐原先生の体幹は動的な動きによって形成される機能的なものであり、鍛錬に資する部分が多いということです。
もちろん、田中先生のような体幹もある程度は鍛錬で鍛えることができると思います。

山口清吾先生の直径で柔らかいタッチを術理としながら、そのために揺るがない体幹を作る佐原先生と、揺るがない体幹を基にそれ以外の部分の脱力行う田中先生。
一見全く別なように見えて、全体としては同じ到達点にあるような気がします。
どちらがよいか、どちらを目指すかはそれぞれの自由です。
ただ、お二人の先生に投げられながら感じることは、どちらを目指しても最終的には同じところに辿りつくのだな、ということです。

自分自身はもう少し、色々と悩みながら、ふらふらしながら、Noriさんに悟られないように悶々としながら自分の技を練っていきたいと思います。

諸手取1

前のブログでも少し触れましたが、最近田中先生とS先生に教えていただく機会があり、その中で何度か諸手取りを稽古しました。
もともと諸手取りは関心が強い形なので、今回先生方に教えていただいて自分なりに色々考えてみました。

そもそも諸手取りの状況を考えると結構悩ましいです。
通常の攻撃で考えると、特に打撃系の方からすると諸手取り、というのはとても違和感があるのではないかと思います。
相手の手を掴むかどうかは別として、例えば相手の手を捌いた場合でも両手で相手の手を抑えることはほぼありません。
名古屋至誠館で言えば、RAHさんも、AFWさんも、日拳T君も、極真ソルジャーさんも、少林寺I先輩も、ちびすけも、みんな打撃をやっているメンバーにしてみれば、最大の武器である拳を塞いでまで諸手取りをすることはほとんどないと思われます。

では、それでも諸手取りをするとするとどんな状況か?
私が考える状況としては、「相手が武器を持っている」状況ではないかと思います。
相手が手に武器を持っている場合、その武器で攻撃されてはたまりません。
例えば私が短刀を手に持っているとします。極真ソルジャーさんの拳がどんなに危険でも、相打ち勝負で素手対担当で攻撃しあったらさすがに素手に分が悪いでしょう。何しろ短刀で刺せば生命の危険があるわけですから。
生命のリスクが発生するのであれば、場合によっては自らの武器が封じられても諸手で相手の手を抑えに行く可能性はあるわけです。

そう考えると、諸手取りのシチュエーションは相手が素手であっても武器を持っていても、「絶対に相手の手を離さない」という強い意志の下に行われているように考えます。
これを前提とすると、がっちり本気で持ってきた相手にどのように対処するかが諸手取りの技であり、そう簡単に相手の手をはずすことができないことが術理になるように思います。もちろんどんな状況においても、相手の手をほどければ最も有利になれるわけですが、技術を突き詰めるという考え方をするのであれば、諸手に対する技は手を切るよりも、どのように手を持たれた状態から相手を崩してあるいは制していくか、というのがさしあたっての目標になるのではないかと思います。この点にはきっとEさんやNoriさんに同意してもらえると思います。

ウイスキーにより続く・・・

基本稽古の大切さ

副館長代理補佐さんの稽古日誌にもありましたが、子ども達の技の迷いは身体の動きの刷り込みが不十分であることが原因だと思います。

技はやはり身体に刷り込まなければ上手くできないと思います。
そのためにもっとも大切なことは「基本の反復」です。
その中でも個人的に特に大切だと考えるのは「体の転換」と「運足」です。

この二つの基本動作はすべての技の中核にあると思うので、何よりも基本に忠実に徹底的に反復して稽古することが大切だと考えます。
基礎への徹底的なこだわりがあってこそ、揺るがない技の土台を作り上げることができる。もちろん技の中で基礎を確認することも大切ですが、やはりまず基礎を練ることが重要かと思います。

是非子どもたちにもそういう方向で稽古してほしいと思います。

軸へのこだわり

道場を始めた時からこれまで一貫して軸にこだわった稽古をしています。

私の師匠も近年特にそうですし、講習会等でいろいろな先生方に学ぶごとに、軸の大切さを再認識します。
非力な人が、あるいは力を使わないで技をかけようとする場合、言い換えれば極力力を省いて技をかけようとする場合、「筋力的な力」に替わる別の「」が必要になります。

一見すると合気道の技は不思議な理によって出来上がっているように思えますが、同じ人間が地球の重力の支配下で運動している以上、一般的な物理法則の支配から逃れることはできません。
合気道の不思議?な崩しや技も突き詰めれば、やはり通常の物理法則に従っているのです。
その点については、また別の機会に考えてみたいと思いますが、ともかく物理法則に従っている以上、
相手を動かして投げる=ある一定の力を必要とする
ということになります。

柔術が突き詰めようとする点の一つは、その力をどこから持ってくるか、ということではないかと思います。
合気道の場合、相手を崩したり制したりする力を、「筋力的な力」ではなく「体幹の安定によって生じる(失われない)力」に求めていると思います。

ただ、その「体幹の安定によって生じる(失われない)力」を出す(維持する)ことが難しいのです。わざわざ( )書きしているようにその力自体の感じ方、発露の仕方そのものから人によって主観的な感じ方が異なる力のような気がしています。

人は大型動物なので、かなりの膂力を有しています。特に合気道をはじめてまもない頃はその膂力を使って相手を投げているわけで、その力を使わないで同じだけの物理的効果を求めようとしたら、それは簡単ではありません。
加えて生物学的に「力を使う」ことは自然なことでもあるので、合気道的な軸への追究はある意味、かなり不自然な行為なのかもしれません。

とはいえ、多くの先生方が力を使わない合気道を体現なさっていることを拝見しても、そうした不思議な理への憧れが尽きることはありません。そして、「筋力的な力」を使わないというマニアックかつ高度な技術を身に着けるために不可欠なのが軸の意識と正中線の意識だと考えています。

先ほども述べましたが、その技術を身に着けると傍からみて魔法をかけているように見えるほどのものです。そう簡単には身に付きません。その稽古途上においてはむしろ「何やっているんンだ」と思われるようなことも多々あると思います。しかし、遠い遠い目標に向けてあくまで軸にこだわる合気道をしてみたい、と個人的にも思いますし、きっとそれだけは間違っていないと考えて稽古しています。Noriさんがそうであるように、あくまで徹底的に軸にこだわることは大切だと思います。

片手取りの流し方

ふと思い出しましたが、誰かに「ブログのタイトルを検索しやすくしてほしい」と言われました。
すみません、たぶん無理です。
思い出した時だけ頑張ってみます。

というわけで、具体的なタイトルをつけてみました。
ここ最近の稽古の中で、体の転換と合わせて片手取りかた流す、という稽古をよくやります。

流し方はかなり感覚的なので、言葉で表現することはなかなか難しいです。
ここでは、普段の稽古で色々説明したり体験していることを踏まえて少しだけ補足してみます。

稽古をする際に絶対に意識しなければならないことは「速度」です。
相手の速度を接点で感じて、その速度に過不足なく動くことが大切です。
特に相手を動かそう、という意識が強くなりすぎる人は、つい急いで流そうとしてしまいます。
かつて書いたことがあると思いますが、柔術で重要なものの一つが「相対的速度」です。
自分ばかりが早く動いてしまってはきれいに流すことはできません。

また、流すためには接点の感触をいかに意識するかも重要になります。
普段の稽古で注意してもらっているように、相手と接触する点に対する意識の集約が何より大切です。

足の位置

昨日の稽古で感じたことですが、足の位置に対する意識はもっと強く持った方がよいです。
ある程度下半身が自由に動くようになると、意識しなくても足がついてきます。
この点は反復稽古の過程で
・どこで技をかけると効果的かわかる
・無意識で下半身が動かせるようになる
ということが身につきます。

もちろん力任せに技をかけているのでは身につきませんが、いつも話をするように反復稽古でお互いにきれいな形を意識しながら稽古すれば次第に身についていきます。
その上で、もう少しだけ早めに上達したい、と思うのであれば「足の位置」を意識することがポイントだと思います。
上の二つの点が身についていくと、感覚的に「ちょうどよい足の位置」が見えてきます。
自分自身ではなかなか最初はわかりませんが、それでも足の位置について意識をしながら稽古すると、上記の二つの点についても身につきやすいのではないかと思います。

稽古における受けについて2

受けについての考えを前回書きましたが、今回もその続きです。
前回、相手の上達を阻害するような受けを日常の反復稽古でするのはよくないと思う、と書きました。

それをさらに進めて、きちんと受けることを通して相手の上達を促すこともできるのではないかと思います。

例えば、子どもの鉛筆の持ち方を考えてみます。
小さな子が鉛筆を使い始める時、鉛筆は1サイズしかないため、大人にとっては握りやすい鉛筆も小さな子にとっては
握ることが一苦労です。
そのため、小さな手で握りやすいように「独特の形」を工夫して握ります。その握り方で毎日毎日お絵かきや文字を書いて遊んでいるうちに、自然と反復でその握り方が身に付きます。
一日に5回鉛筆を握って何かを書くとします。それを365日数年間続ければその反復回数は大変な量となります。
子どもが成長して手が大きくなった時に親が気が付いて、鉛筆の握り方を注意してもそう簡単には直りません。
反復によって習慣となるまで身についた動作は簡単には習性できません。

合気道でも同じことが言えると思います。
もちろん、ある一定以上、またはある一定の割合においては自分自身で考えて稽古することは必須だと思います。
しかし、特に初心者にとっては鉛筆の握り方と同じで、最初に身に着ける形がとても重要だと思います。
その際に「正しい形を身につけろ」というだけではだめで、きれいな形で受けをとってあげることが効果的だと思っています。

きちんとした形で投げることができた場合は抵抗のない気持ちのよい投げ方ができ、そうでない場合はところどころでひっかかって投げた感触が悪い、そんな受けをしてもらえれば、自然と気持ちよく投げることで正しい形が身につくと思います。

さらに、ここは賛否が分かれそうなところですが、特に初級者を相手にする場合は、ある程度は上級者が勝手に受けをとってしまってもよいと私は思います。
ここでいう「勝手に」は技がかかってもいないのに受けをとるのではなく、自分がこれまで投げられてきた中で、きれいに投げられた時の感覚を思い出して、その時の自分の身体の体勢で受けてみる。
当然、投げている初級者とは手の位置も足の位置もずれるわけですから、初級者は手や体が持って行かれる感じがします。そこで、無理に力で自分の投げたいところへ投げるのではなく、受けをとってくれる上級者の受けている形にあわせて投げる稽古をする、それを反復することで自然ときれいな形を身につけることができる。そう考えます。

ただし、この場合大切なのは受ける方の技術です。きれいな形に誘導するのも変な癖をつけさせるのも受けの技術次次第。だからこそ普段の稽古で受けは大切だと思っています。

稽古における受けについて1

合気道を実際に戦いの中で使うかどうか、使いたいかどうかは個々の目的によります。
ただ、どういう目的で合気道を稽古しているとしても、技術の習得という点では変わりはないと思います。
技を「使うか」「使わないか」のスタンスは違っても、「使えるようになる」という点では変わらないと思っています。

一定の技を習得する、という目標においてさまざまな稽古方が存在しますが、その中でも一番基本的かつ一般的な稽古方法は技の反復練習です。
技をかける方の意識についてはまたいずれ考えを書いてみようと思いますが、今回は受けについて。

反復稽古において何よりもきちんとした受けが大切だと思います。
きちんとしている受けとは、仕手のことを考えている受け、別の言い方をすれば仕手が正しい形で稽古できる(正しい形を練習することができる)受けであると思います。

先ほど使うか使わないかは別と言いましたが、合気道の技は一瞬のうちにその流れを作り出すことが効果的なものが多数あります。
要するに、動きに入ってから技がかかるまでの時間が短いという点では、共通していると思います。
その(技をかけるのに要する)時間は実際にはかなり短時間であって、受けが途中で力を入れ直したり、力を入れる(耐える)方向を変えることはほとんどできないはずです。

つまり、本来であれば受けは最初にかけた力、最初に加えた力の方向を変えるようなゆとりはないのが、最終目的とする合気道の技であると思っています。
しかし、技術的に未熟な人は、どうしても一つの技をかけるのに手間取ってしまうため受けている方が途中で力を入れて耐えたり、力の方向を変えて耐えたりすることができてしまいます。
受けにこのような受け方(耐え方)をされてしまうと、未熟な人は技をかけられません。
のみならず、本来受けが仕手のことを考えた上で上記のような持ち方をしていれば、反復稽古の中で身についていくはずの「技がかかる」感覚が身に付きません。

私もまだまだですが、きちんと反復稽古を繰り返して感覚や感性を磨いた結果、一定のレベルまで技術が上がれば、相手が途中で力を入れたり力の方向を変えたりしても技がかけられる(というよりはそういうことをさせない技がかけられる)はずです。

別の言い方とすれば、目的(一定の段階)が達成された後ならされてもいい受け方がその達成前にされると、根本的に目的の達成を阻害してしまうわけです。
この受け方の手順の前後は技術の習得において致命的な効果を及ぼします。

合気道を修練する目的はさまざまでも、皆が上達したいのは同様です。
そのためには、受けは以上のような点をしっかりと意識した上で、受けの動作の初動でかけた力の強さと方向を変えることなく、また不必要に脱力することなく、仕手の感覚や感性が磨かれるような受け方をするべきだと思います。

3つの許さざるところ その1

先日稽古の際に先生がお話された「3つの許さざるところ」について。

もとは誰の教えか失念してしまいましたが、私が先生の弟子入りしてから30年近くずっと稽古の際に先生が言われている言葉です。
その一つが

起きたるを許さず(起こりを許さず)

これは相手が攻撃してこようとするその動作の始まりを抑えることを意味します。
攻撃しようと思っている相手の攻撃が始まってからでは十分な対処ができない。
だから、相手が攻撃をする前に制してしまう。

非常に合理的なのですが、口で言ってもできるものではありません。
というのは、相手がまだ全く攻撃を仕掛ける気がない時点でこちらが動き出せば、それはこちらからの攻撃になります。
柔術の技のほとんどは相手の攻撃を前提として考えられているため、相手の攻撃が出る前にこちらから仕掛けるのでは、相手を十分に制することができない(更には反撃されてしまう)ことになります。

そのため、相手が攻撃しようという気を起こした瞬間に対処をはじめた上で、実際の接触や捌きは相手の攻撃が具体的に始まってから、ということになります。
要するに「相手が動く前に動き始めるけれど、実際に相手と対応するのは相手が動いてから」という非常に難しい要求をされるわけです。
身体的には相手の動きに合わせつつ自分の体の速度や動きをコントロールするという双方向的な意識が必要となります。
ただ、これができればすごく楽に相手を制することができるので、常に意識して稽古しているのですが・・・
やはり難しいです。

受け身の稽古 その2

受け身について、「受けを取る側が自分のタイミングで受けられることはまずありません。」というのは「怪我をする場合は受けが自分のタイミングで受けられない」ということか、という質問をいただいたので補足です。

そうだと思います。
例えば、呼吸投げでよく見られる光景ですが、仕手が投げたあとタイミングを調えてから受けを取る人がいます。
もう少し具体的にいうと、仕手が投げた動作をした瞬間に受けを取るのではなく、ワンテンポ遅れて受けを取る、というような受け身です。
こういう人は、仕手が投げるタイミングではなく自分のタイミングで受けを取っている訳です。そのため、仕手が相手を逃がさないように投げた場合に受身のタイミングを計れずに失敗するのです。
特に四方投げのように、受けが相手に完全に拘束された状態で投げられる場合に起こりやすいです。

実は、こういう受けをとる人には更に次の段階があって、何時でも自分のタイミングを取れるように、攻撃の手を弛める癖がつきます。
相手の体をしっかりつかんだり、力を込めて攻撃をすると体が固まってしまうため、柔軟にタイミングを取ることができなくなります。そこで、最初の攻撃の段階で全力を出さないようにしてあらかじめ受けを取る時のために余力を残しておくのです。

合気道の理では受けが「本気で相手を倒すための攻撃をしてくる」ことを前提に技が考えられています。受けが緩い攻撃をしてくるのであれば、自分のタイミングを柔術を使うまでもなく、少し痛みを我慢して攻撃を受けてから反撃すればすみます。別の例を挙げるなら、女性を襲う暴漢が、やさしく抱きしめるようなもので、それを想定するなら多分柔術は不要(というかそこまで高度な技がそもそも必要なくなる)と思います。
逆に言えば、相手の攻撃が破壊力に満ちていたり力がこもったものであるからこそ、高度な理や技術が必要になるのです。

ところが先にも述べたように、受けが苦手な人は無意識に攻撃をゆるめて、自分の受けに備えてしまいます。こういう人に対して理性的な仕手は無理をしてまで技をかけません。そんなことをすれば受けを怪我させてしまうことがわかるからです。ちなみに技をかけられる瞬間に全力で身体に力を入れる人もいますが、これも近いものがあります。
そのため、受けは自分がきちんと受けているような錯覚をしますが、実際には加減をしてもらっているだけで、受けることができてはいません。それだけでなく、手加減をされることでキチンとした技もかけてもらえないため技術もなかなか向上しません。

悪循環なのは、そういう受けをしているにも関わらず自分が受けができていると思うことで、そうなると何かの拍子に怪我をしたり、あるいはいつまでたっても上達しないという迷路に入り込んでしまいます。
そんなことのないよう、できるだけ早い段階からしっかりした受けを取れるように稽古することが怪我をしないためにも、合気道が上達するためにも必要だと信じています。

速く動くこと その2

昨日の稽古はとてもよかったと思っています。
RAHさんではないですが、肘が痛いのに突きをやりすぎて、今日は大変でした。

アラフォー中級者Wさんが稽古の際に説明されていた、「いかに早く突く」ための「いかに早く動くか」、についてちょっと書いてみたいと思います。
実はこれに関連することをどこかで書いた記憶があったので、探してみたのですが丁度良いのは書いていなかったようです。
近いものが「速く動くこと」「絶対速度と相対速度01」「絶対速度と相対速度02」「脱力について」でしょうか。

稽古で空手部主将からも説明されていたように、実は速く動こうとして足に力をいれると却って遅くなってしまいます。
ここでいう遅さは実際に移動する距離を移動時間で割った実際の移動速度ではなく、突き始めという動作の端点(初動)から突きが相手に命中するまでの時間であって、さらに付け加えれば物理的な時間に加えて相対する相手が「お、動き始めたな」と思った瞬間から突かれるまでの感覚的な時間すなわち相対速度の遅さを意味すると考えます。

初動およびその前の力みは対峙する相手からは、予備動作や動作の予告として捉えられます。その時間が長かったり大げさであればあるほど、相手にとっては取得できる情報量が多くなり突いてくる相手の動きを予測しやすくなります。

そこで初動から打突までの時間、さらには相手の主観的な相対速度をあげるためには極力予備動作や力みを排除することが肝要となります。
その際大切なのが、
膝の力を抜くこと
となります。
水平方向への移動は膝と足首、足の裏によって行われますが、その中でもっとも自身の動きの律速となる、別の表現を用いれば他のプラスの力を阻害する要素が膝の硬直・力みであると思います。
それゆえ、初動の初動においていかに膝を脱力するかは、突き込むに当たって非常に重要な要素になると考えます。

四股の踏み方

さて、この投稿が水曜日の午前2時になされていることに気を付けてください。

わが道場では、やべっちの洗礼依頼「四股はすばらしいもの」という都市伝説が生まれ、常日頃から四股を踏んでいます。
四股は踏み方によって、鍛えられる部位が異なります。
もちろん四股の踏み方によっては、非常に効果的な筋トレになることもありますが、やはり四股の目指すところは
呼吸と力の出し方の一致
にあると思っています。

そのため、四股を踏む際に注意することは、まず第一に腹に呼吸を落とすことです。
そのためには、上に上がった時に息を吸い、腹式呼吸をしながらゆっくりを腰を落とします。
この際、足を強く踏み込む必要はありません。
深い呼吸に合わせながら、ゆっくりと膝のばねを使って腰を落としていくのが大切です。

次に状態をしっかりと起こしていることが大切です。
状態が前掲していると、腹が圧迫されて、呼吸の通り道を意識することができません。
当然、呼吸と力の一致を感じることもできません。

さらに、呼吸を吐ききった瞬間と腰を落とした位置の関係も大切です。
腰を落としている位置と呼吸を吐ききったタイミングの関係は両者の連関にもっとも重要なことだと思います。

また、直接四股とは関係していないかもしれませんんが、呼吸の仕方は四股の基本であり、非常に重要です。
丹田呼吸の基本ができることが四股を踏むにあたってもとても重要だと思います。

一人稽古

ここしばらくの稽古の大きなテーマの一つは「流れ
うちでは身体を作る稽古や、身体の動きを意識する稽古をよく行うため、どうしても動きが固くなったり途切れ途切れになったりします。
そのため、Noriさんも書いているようにイメージ通りに技がかけられずに悶々としてしまう人も多いと思います。

それならなんでそんな固くなるような稽古をするんだ、ということですが、単に形だけでなく効果的に技をかけるためにはやはりしっかりした体幹が重要だと思います。詳しいことはまた別の機会に述べるとして、ともかく普段やっている基礎の稽古は大切だというわけです。

そうすると次に問題になるのは、「身体をつくってもそれを実際にうまくつかえなくてはどうしようもない」ではないかということです。
そのためにおすすめが一人稽古です。イメージ通りにうまくかからない理由の一つは相手という「負荷」の存在です。物理的な力の衝突という意味でも、うまくかけなければという精神的なプレッシャーという意味でも相手がいると身体の動きが委縮しがちです。
それならいっそのこと、一旦相手をなくして自分だけでシャドー(素振り)をやるのもいいと思います。他のスポーツでも、武道でも素振りや一人で型稽古をするものは多いです。合気道は相手との感触を大切にするのでほとんどそうした一人稽古はしませんが、実は結構有効だと思います

ただし気を付けなければならないのは、きちんとした動きができないで一人稽古を続けると、変な癖がついてしまいます。特に相手がいないと負荷がかからないので、自分の自由なイメージで自分の好きなように動けます。だからこそ、自分自身の体幹や姿勢がしっかりしている必要があると思うのです。

一人稽古でしっかりとイメージを体に染み込ませて、そのイメージと実際に相手にかけるときとの感覚の違いを大切にするとよいのではないでしょうか。といっても「一人上手」になってはいけませんが。

重心と下半身

先日稽古をした際に、すっかり忘れている人がいることが分かったので改めて。

いつも身体の軸を意識して動くように話をしていますが、軸だけ意識していても安定はしません。
軸の安定が身体の水平方向の安定だとすると、身体の縦軸方向の安定は重心によって維持されます。

しかし、この二つはなかなか両立させにくいです。
重心を下げて安定しようとすると、下半身が固まってしまいます。
下半身が固まってしまうと身体の動きが制約されて、軸がぶれます。

大切なのは、重心を落しつつ自由に動く下半身を作ること。
あまりゆっくり動いていては、柔らかさを見失うこともあるので注意してください。
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I always tell you to keep your “axis” of the body when you practice.
But you can’t be stable with only awareness of the axis.
The axis construct the stability in the horizontal direction, the center of gravity maintains stability in the vertical direction.

However, these two are hard to balance easily.
If you try to keep stability by lowering the center of gravity, your lower half of body may be fixed.
Then your movement is restricted, and your axis is blurred.

The important thing is to use the lower half of body freely whit dropping the center of gravity.
So you have to be careful to keep your move smoothly.

手の内について

合気道の練習において相手を掴むというのは主に受けの時、そして固め技のときだと思います。この掴むという行為を指に力を入れて行うと、指の力を強くすればするほど手首は動かなくなると思います。つまり指で掴んでしまうとその掴んだものを次に操る部位はいきなり肘になってしまうということです。 それに対して掌で掴んだ場合は、掌への依存が強くなればなるほどそして指の力が抜けるほど手首の自由度は増します。一つの関節が自由に使えるのと使えないのでは大きな違いがあるということはこちらの道場の方々なら既に経験済みですよね。(指を持たせての体術などで)

この手の内を意識するかしないかということは剣術でも顕著な差を生み出します。というのも一つ考えていただきたいのは、例えば自分が手刀で正面内をする場合に指を力ませるのと脱力させるのとではどちらのほうが威力が出るでしょうか?もちろん当てる瞬間は力を入れるとしても後者のほうが威力が出るものだと思います。

ゆえに剣を持つ際も指の力はなるべく使わず手の内にて剣を包み込むように持つほうが良いという理につながります。もちろん手の内ははじめは硬いのでうまく持てないでしょう。これは体術においても二教や三教等で同じことが言えます。

この手の内の柔らかさはもちろん意識しなくても技の研鑽を積み重ねることで、手の内の重要性に気づけば自然に磨かれるとは思いますが、柔軟のようなものですから意識して早めに取り組むと吉と思います。

 

握る02

長くなったのでわけました。
「握る」ことの続きです。今回は合気道における具体的な理について考えてみます。

それゆえ、合気道において相手の手首や身体の一部を「握る」場合には必ず、無意識の動作が生じるのです。先にも述べましたが無意識の動作は制御できないものであり、言いかえればその動作について「警戒」することはできないのす。つまり、相手の手を握ろうとする場合、意志決定プロセス完了後から握ることを完了するまでの間は「無意識」であると同時に「無防備」にもなるのです。
その無防備な過程の隙を上手く利用しようというのが柔術の考え方なのではないかと思います。

その際、大切なことは攻撃側の行動は通常一定の条件が付されたものであるため、あくまで攻撃してくる者に合わせた術理で技をかけなければならないということです。一番顕著な例がスピードで、スピードの差はこの握る際の隙をリセットしてしまいます。相手との速度差が大きいと、相手が技をかける側の動きに反応して、動作を変化させるのはそのためです。
もう一つ意識しておくとよいと思うのが、意識下で命令した行為は当然一定の範疇で完結するものですが(完結しろという条件付きの命令と考えてもよいかと思います)、その命令を実行するのは本能的な(無意識の)動作なので条件を成就させなければ行為は完了しないということです。つまり、握るという行為が完了しない間は身体は無意識に握るという動作を続けます。そこに隙が生まれるのです。

先日の稽古でも説明しましたが、
この2点
・条件を発動させないような技のかけ方(特に速度)
・行為の完結をさせない
という無意識下の動作への外部的な制御を行なえば相手を力を使わずに崩すことができると考えます。

久しぶりに【難】な話になりました。