稽古における受けについて2

受けについての考えを前回書きましたが、今回もその続きです。
前回、相手の上達を阻害するような受けを日常の反復稽古でするのはよくないと思う、と書きました。

それをさらに進めて、きちんと受けることを通して相手の上達を促すこともできるのではないかと思います。

例えば、子どもの鉛筆の持ち方を考えてみます。
小さな子が鉛筆を使い始める時、鉛筆は1サイズしかないため、大人にとっては握りやすい鉛筆も小さな子にとっては
握ることが一苦労です。
そのため、小さな手で握りやすいように「独特の形」を工夫して握ります。その握り方で毎日毎日お絵かきや文字を書いて遊んでいるうちに、自然と反復でその握り方が身に付きます。
一日に5回鉛筆を握って何かを書くとします。それを365日数年間続ければその反復回数は大変な量となります。
子どもが成長して手が大きくなった時に親が気が付いて、鉛筆の握り方を注意してもそう簡単には直りません。
反復によって習慣となるまで身についた動作は簡単には習性できません。

合気道でも同じことが言えると思います。
もちろん、ある一定以上、またはある一定の割合においては自分自身で考えて稽古することは必須だと思います。
しかし、特に初心者にとっては鉛筆の握り方と同じで、最初に身に着ける形がとても重要だと思います。
その際に「正しい形を身につけろ」というだけではだめで、きれいな形で受けをとってあげることが効果的だと思っています。

きちんとした形で投げることができた場合は抵抗のない気持ちのよい投げ方ができ、そうでない場合はところどころでひっかかって投げた感触が悪い、そんな受けをしてもらえれば、自然と気持ちよく投げることで正しい形が身につくと思います。

さらに、ここは賛否が分かれそうなところですが、特に初級者を相手にする場合は、ある程度は上級者が勝手に受けをとってしまってもよいと私は思います。
ここでいう「勝手に」は技がかかってもいないのに受けをとるのではなく、自分がこれまで投げられてきた中で、きれいに投げられた時の感覚を思い出して、その時の自分の身体の体勢で受けてみる。
当然、投げている初級者とは手の位置も足の位置もずれるわけですから、初級者は手や体が持って行かれる感じがします。そこで、無理に力で自分の投げたいところへ投げるのではなく、受けをとってくれる上級者の受けている形にあわせて投げる稽古をする、それを反復することで自然ときれいな形を身につけることができる。そう考えます。

ただし、この場合大切なのは受ける方の技術です。きれいな形に誘導するのも変な癖をつけさせるのも受けの技術次次第。だからこそ普段の稽古で受けは大切だと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください