「館長のつぶやきというか備忘録」カテゴリーアーカイブ

オンライン稽古の工夫3

もう一つオンライン稽古をやって思ったことがあります。それは

頭でっかちになる

ということです。

実際に手を取り合って稽古をするわけではないので、どうしても口を使って説明するようになると、理屈っぽくなります。合気道自体は理論がとても大切な武道であることは間違いないのですが、現在の私の感覚としては理論を前面に押し出してはいけないと感じます。

仮に理論と身体の感覚の比率はどれくらいだと言われれば今の私は2:8くらいがバランスがよいと思います。私自身も合気道以外では理屈で考えることが好きというか基本になっていて、合理性を優先する癖があります。

でも合気道をやっていて最近思うのは、本当に合気道と言うのは矛盾を含んでいる(良い意味で)と感じます。そしてそこがとても楽しいです。物理的や生理学的に考えられる理論を敢えて押しとどめることで成立する部分が非常にたくさんあると感じるのです。これを理論的に述べるのであれば、肉体的な出力を意識的に制約して制御することで最大限の効果を得る瞬間の快感は何とも言えません。ここでいう最大限の効果というのも瞬間的にベクトルも加速度も力積も絶えず変化する状態で個々の瞬間においては最大限ではないけれどもそれを連続する相手との関係性で積分すると、最終的に最大限の効果を得るという意味です。こうやって説明されても訳がわからないと思います。

だからこそ合気道においては型稽古の反復による身体的感覚と感性の向上が重要になると思うのです。

その点を注意しながら、以下に実際の稽古に近づける形でオンライン稽古を行うかは本当に難しいと思います。

オンライン稽古の工夫2

次にオンライン稽古を何回かして感じたことは

稽古がマンネリになる

ことです。先の「見せる」際にも考えたことですが、先入観や既成概念という自分の中に存在する制約、また社会的なニーズや制約で「一人でできること」「非接触」という言葉に強くとらわれた結果として、どうしても稽古が単調でマンネリになってしまいます。

生前私の師が稽古についてお話をしてくださった際に「稽古には華があった方がよい」と教えて下さいました。

そのこともあり、どうしてもオンラインの稽古については悩んでしまいます。例えば最初にオンライン稽古を行うことを考えた時に頭によぎったのは「四股を踏む」と「剣を振る」です。だけどこれを延々と毎回行うわけにはいきません。他の稽古と組み合わせればこれは鍛錬の一つとしてやりがいがありますが、これだけを繰り返するとかなり飽きます。

ちなみに私は通常の稽古でできるだけ門人に受身を取ってほしいと思っています。合気道の上達には何より受けを取ることが大切なので、そのためにも受身の上達は必須だからです。しかし、子どもも多数いる名古屋至誠館で大学の部活のようにひたすら受身を取ることはできません。かといってできないから子どもは20回も受身をとればよい、というのも嫌です。なので、今日は受身をしっかりやろうという日は、どうやったら子どもたち(元気な大人も含めて)に100回受身を取らせることができるだろうかを真剣に考えます。稽古の中にどのようにちりばめるか、どんな技をやるか、どういう形で受身をとるか、どのようにけしかけるか、競争させるか、など事前にそして実際に稽古を行いながらリアルタイムで必死に修正を入れながら稽古を行っています。結構疲れます。

本題に戻りますが、通常の稽古でさえマンネリにならないように目的を達成することがとても大変なのにオンラインではさらにそれが輪をかけて難しくなります。このマンネリということは稽古が難しくなる、ということとも関係するので本当に難しいのです。

現時点では、できるだけ双方向性を持ちながら稽古を行えるように工夫するということです。これも一人では難しいのでアシスタントが必要になるのですが、やはり稽古に参加する以上「先生にみてもらいたい」という気持ちはあると思うので、それを行うことが大切だと思っています。

ただ、まだ慣れていないので上手くできていないところがあります。まだまだ工夫が必要です。

オンライン稽古の工夫1

オンライン稽古を行う上でまず最初に考えたことが

どうやってわかりやすく説明するか

という点です。
普段の稽古であれば実際に形を見せればよいので(慣れているので)悩むことはあまりありません。しかし、画面越しにそれを行うのはとても大変です。

大画面で見ている人はよいですが、スマホで参加している人にしてみれば結構小さな画面でみることになると思います。この「どうやってわかりやすく説明するか」についてはまだかなり考えなければいけないと思っています。

現時点での感想としては
 ・同じ動きを通常の稽古の数倍繰り返し行ってみせる
 ・全体と細部のアップを組み合わせて見せる
 ・アシスタントに手伝ってもらう
の3つです。

やはり見せる側としては実際に接触した形で見せる方が伝わりやすいこと、説明だけでは感覚的に分からないこと、があるのでどうしても画面のこちら側では接触をして形を示すのがベストかと思っています。適切な例かどうかわかりませんが、糖質0プリン体0のビールはやはりイマイチなので、糖質とプリン体を0にするわけにはいかないかな、という感じですね(笑)。

技の備忘録

今日稽古の際に自然体T君に「こんな技を習ってきました!」
と教えてもらった技が「なるほど!」と思ったので
備忘録代わりにアップします。

一応読めるようには書くつもりですが、備忘録なので多分よんでもよくわからないと思います。
すみません。

形は片手取りあるいは両手取り
外形的には崩しを行う手を
体側(腰のあたり)につけた状態で
指先を下に向けた状態で内回り(時計の反対回り)に捻る(回転させる)

崩しを行うための空間スペースの確保を意識。
引くのであれば空間の確保はしやすいが、手の位置をそのまま固定する場合は空間が作りにくい。
相手との結び(つながり)を意識しながら、引いた時と同じ空間の広さを相手側に確保するように当て込む。
その際には当てた状態を維持しながら押し込むのではなく、つながった状態を維持しながらタイミングよく軽く相手側に空間をずらし込む感覚で。
全体の大きな感覚は以上のような感じで、接触点の感覚としては接触面が滑らないように回転させる。
ほんの少し擦る(当てる)感覚がよいのかも。
全体の動きをタイミングで行うと、接触面が離れてしまいやすいので、空間を作り出すタイミングを回転のタイミングを一致させて、全体としては押し込まないようにしながら、接触面の繋がり(摩擦)を維持する。

よし、これで見返した時に自分にはわかるぞ!
ありがとうT君。

『受け』について

常日頃、できないことが多すぎて悩んでばかりですが、
中でもずっとわからないことがあります。
それが、『受け』。

技の稽古の中でどれくらい受けが受けるべきか、
そういうことももちろん悩ましいですし、
特に子ども達の稽古では、
もっと受ける姿勢を重要視するべきかなとか考えたりもします。

ですが、本当にわからないのは
個人的な話で申し訳ないのですが、
どういう受けが一番正しいのか、ということです。

私は受けが本当に下手で、
それも、技以前の、受けが仕掛ける攻撃から苦手です。
苦手というより、わかりません。

幸い道場には他にも格闘技をやっていらっしゃる(いらした)方が何人もおられ、
格闘技や武道に対するお話を聞けることが多いので
意識に関することはなんとなく考えはできるのですが、
どういう受けをすれば、相手の技を一番正しく感じられるのか、
体感としてわかりません。

もちろん、必要以上に力を入れたり踏ん張ったり
逆にまったく力の入らない持ち方だったり
そういうことが正しくはないことはわかりますし
しないようにしているつもりです。

でもそうではなく、もっと正しく感じられる、受け。
きちんとした、持ち方や突き方、打ち方で
せっかく技をかけてくださる方、
特に上手な先生方の技を感じられるようになりたいです。

最近考えていることの一つをちょっと書いてみました。
個人的な話ですみません。