剣の稽古で感じたこと その1

日曜日は八事道場で鹿島の剣を稽古しました。

その際にいくつか思ったことがあるので、備忘録として書きます。
まず子どもと初心者へ。
剣の稽古では大きな気合を出すようにしてください。
人間の身体は便利というか器用にできているので、ある程度いい加減な動きをしてもバランスを崩すことはありません。
ところが剣は「切る」という目的において、身体のバランスが崩れていると、全く目的を果たせません。
少し難しい表現をしましたが、子どもにもわかるように言えば
ということです。
剣という扱い慣れない道具と身体という無意識に作動する道具を同時に動かす、あるいは一体化させるには非常にたくさんの訓練が必要です。その方法の一つとして、両者が融合(同時化)するきっかけを与えてやる、という手段があります。
それが気合です。
身体の所作はおよそどのようなタイミングでも行えます。これを物理的身体動作とすると、かなりの意識を持って振る剣は物理的作業であると同時に精神的な動作(作業)でもあるわけです。
この二つの動作を同調させて同時に行うためには、その契機となるものに合わせて両者をおこなえば、より効率的になります。
もちろん、最終的には気合なくしても両動作の同調(シンクロニティ)が図れなければなりませんが、少なくとも初期においては気合を出すことで身体にそのタイミングを覚えこませることが大切だと思います。
剣を見ていても、気合の適切な人は剣がよく振れていると思います。

低学年の子どもにわかるように翻訳するとこんな感じですかね。
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手だけでふっているとかっこうはまねできても、じっさいに剣で切ってみると全然切れていないことがよくわかるでしょう。
自分のからだは自分の思い通りに動くけど、剣は重いし、思い通りにうごかない。
だから、「エイ!」と気合をいれることで、その気合にあわせて身体と剣をいっしょにうごかすことができるようになる。
つまり、気合はタイミングをとる方法なのです。
だから気合が小さかったり、よわよわしかったり、のびのびだったりすると気合を出してもタイミングはあいません。
剣をふるときには、何よりもしっかりと気合をだす習慣をはやく身につけましょう。

 

「剣の稽古で感じたこと その1」への1件のフィードバック

  1. 平岩先生の剣を受けた感触を、時々思い出します。前進、剣の振りおろしのタイミング、当てるときの集中の仕方、その剣の軌跡、当てる位置、それらが映像のように、手に感じた重みと共に今も心に残っています。

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