「身体についての考察【難】」カテゴリーアーカイブ

身体の使い方・作り方を考えてみる

速く動くこと

合気道に限らず、武道は(求道精神的な部分は別として)相手に対する技術なので、相手より速く動けばあるいは相手が予想しているよりも速く動けば「速い」ということになります。
とはいえ、合気道の稽古で筋力や瞬発力を訓練するわけではないので、そうそう「物理的なスピード」が上がるわけではないと考えます。

では、武道における速さはどのように磨かれるのかを考えることになるのですが、個人的には
(1) 少しでも動きの無駄をなくす
(2) 相手との相対的な関係で「速い」と感じさせる
この2つを組み合わせることで、あたかも一瞬にして相手の懐に潜りこんだように感じさせたりすることができるのではないかと思っています。特に上級者の方々は(2)に長けていると思います。

稽古の中でもこうしたことは説明したり考えたりするのですが、頭でわかっていてもなかなか感覚が身につかないもので、何年何十年もかけてようやくできるようになるのだろうと覚悟しています。
道場の仲間といろいろ試しながら少しでも効率的に、と稽古するのですが自分自身が未熟なため、うまく説明できず悶々としています。

力を抜く1

力を抜くことは色々有効だと思いますが、今回触れたいのは「無意識に入る力を意識的に入れない」ということです。人間の身体は転ばないよう無意識にバランスを取る機能を持っています。

この機能は「転ばず立つ」という目的にはこの上なく便利なのですが、同時に身体の動き、特に動く「速さ」を制限します。

稽古によって無意識に入る小さな力を消極的に制限できるようになれば、さらに人間の身体機能は活性化されると考えます。

意識と身体

正しいかどうか全く自信は(というより根拠は)ないのですが、自分としては意識と身体では意識が主で身体が従だと考えています。「自由自在」という言葉がありますが、武道においてこの言葉は「自分の思った通りに身体を動かすことができる」という意味だと思います。こういう言い方をすると、咄嗟に意識することなく身体が動くことが大切ではないのか、と言われそうなのですがそれも全くもって正しいと思います。

つまり、意識下における動作(あるいは能動的所作)においては、自分の意識した通りに身体を動かせるようにすることを目標として、無意識下のおける動作(あるいは受動的所作)においては身体の発動を制約する意識を働かないように訓練することにより(例えば急な攻撃を受けても驚いて身構えないように訓練する)消極的な意味において身体を意識の従としようとしているのではないか、と思っています。

もちろん、稽古は身体を動かすものなのでここでいう従が稽古の主役になるという複雑な関係が生じるわけですが、その際にも以上の主従を十分に考えながら稽古できると「自由自在」に技が出せるようになるのではないか、と考えています。

稽古の工夫

昨日の稽古では、稽古担当者が工夫した稽古をしてくれました。子どもにとっては目先が変わるものでもあり、いつもにまして集中力が上がってくれればと願っています。
大人にとってみれば、考える題材は多い方が稽古に個性が発揮できてよいと思っています。ある一つのことを身につけたいと思っても、大人はみんな人生経験が豊かなためよくも悪くも時間がかかってしまいます。一つの稽古法ではなかなか意識(モチベーション)が持続しない場合に何らかの方法で「考える」ことは現在の稽古を見直すいいきっかけになると思います。

稽古を担当する側も、稽古に参加する側も「考える」ことでよい稽古を作り上げられればよいな、と思っています。

身体の動かし方

身体の動かし方はさまざまです。考え方や表現の仕方はさまざまなので、ここでは私見を述べることになりますが、私は柔術の場合大きな形として「身体全体を一つに固めて動く方法」と「軸を中心に動く方法」とがあると思います。前者は身体の動きの基本的な流れを理解するのに取り組みやすい方法だと思います。例えば相手を掴む手に力を入れれば、必然的に体幹まで筋肉が収縮して全体が一つになります。筋肉が収縮している状態で技をかければ自分と相手が一体になっている感覚を得られるので、基本的な身体の動かし方の理解には向いていると思います。一方で、体を硬直させるので、動きに制限が加わり自由度は相当に下がるため、相手によっては技が全くかからなくなってしまうこともあります。後者の軸を中心に動く方法は、動きの半径が軸となるので、軸の意識が研ぎ澄まされていればかなり窮屈な状態でも自由に動くことができます。ただ、ここでいう軸は意識の中で作り上げるのものであり、筋肉等のように実存するものではないため、軸の感覚を習得あるいは意識できるようになるまでかなり時間がかかることが短所でしょう。

軸について

人間が何気なく行っている「立つ」すなわち二足歩行はとても高度なバランス運動です。転ばないように立つために必要なバランスをとるための中心を武道では「重心」と呼んでいると思います。この重心は静止している状態での身体感覚の基本で、重心を維持したまま身体を動かそうとした場合、今度はバランスを崩さないようにしながら動く必要が生じます。バランスを維持しながら身体を動かすために意識しなければならないものが「軸」なのではないでしょうか。

力みを取る

身体の使い方はとても難しいと思います。合気道では「力みを取る」ということがよく言われますが、この言葉には大きく分けて「きれいな形で無駄なく力を出す」という意味と「目に見えない力の流れを自由自在に操る」という意味が含まれていると考えています。