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米のお酒を語るぞ! その1

どう考えても副館長代理補佐さんの独り言は「誘い」以外の何物でもありません。
小さな子どもでもあからさまにわかるくらいの「わざとらしい」誘いです。
武道的にはそんな誘いに引っかかってはいけないんです、多分。
そんなことでは、相手にいいようにあしらわれてしまいます。

と前置きを書いておいて、このタイトル。
まったく能書きと行動がいっちしていませんが、全く気にしておりません。

お米の国の人としては、やはり米について語りたい。
それこそ本道であり、メジャーだろう、ということで
米のお酒を語るぞ その1
です。

お米を使ったお酒といえばやはり「泡盛」でしょう。
何やら、外野から大きなブーイングが幻聴で聞こえてきますが、知りません。
文句があるなら「その2」を書けばいいんです。

今まで私が沖縄で飲んだ泡盛は

山原くいな、美しき古里、龍、松藤、照島、珊瑚礁、萬座、龍泉、残波、かりゆし、瑞泉、久米島の久米仙 、瑞穂、咲元、時雨、うりずん、久米島、海乃邦、神泉、南光
久米仙、春雨、菊之露、多良川、沖之光、千代泉、宮の華、八重泉、請福、於茂登、宮の鶴、玉の露、白百合、泡波、どなん、与那国、舞富名

とかですが、ともかく沖縄には醸造所が多い。ほとんどの醸造所は1~2銘柄の泡盛を作っています。
それだけ、米のお酒の文化が根付いている、ということです。決して酒文化が劣っているわけではないんです。
泡盛というと手を出さない人が多いのが残念です。
私自身も学生の時東京で初めて泡盛をのんだときは、「なんだこれ」という感じでした。

泡盛愛好者として言わせていただくと、泡盛は「呑み方」がとっても大切なのです。
ほとんどの場合、飲み方を間違えているのでおいしいお酒もおいしくない、と思ってしまうのです。間違いありません。
泡盛を呑むのに「ビールを注ぎあうように」お酌をしあう呑み方はいまいちです。
グラスやぐい飲みにそそいだ泡盛を自分の好きなペースでやるのが大切です。
できるだけゆっくり飲むことがお勧めです。
でないと、泡盛のような度数の高いお酒は「アルコールを体内に入れる作業」になってしまいます。

次に、泡盛は料理と一緒に飲むことが大切です。
昨今のお酒は「キレ」とか「コク」とかを大切にします。もちろん、それはそれで間違っていないのですが、例えば普通の飲み物でも、緑茶を飲みたいときもあれば、ほうじ茶がいいとき、麦茶がいいとき、とその時々に応じて楽しみたいものは変わるはずです。なのに、中には泡盛には「キレ」がない、といってケチをつける人がいますが、まあいいや。
泡盛は沖縄の陽気な文化を反映したおおらかなお酒です。
みんなでわいわいと楽しく談笑しながらだらだら飲めるお酒。そのお酒に厳しさやキレを求めるのは場違いだと思います。
泡盛はどんな料理でも大きく包み込むお酒だと思います。
個人的な意見としては、捌きたてのよく冷やした刺身より、呑んでいて少しぬるくなった刺身の方が相性がいいのかも。
あまり料理に質の高さを求めないお酒だと思います。
もちろん、きりっとしたつまみと日本酒の組み合わせもこよなく愛しています!

また、泡盛は「自分で呑み方を決める」お酒の典型だと思います。
ストレート、ロック、水割り。さまざまな呑み方があります。
私はその時の料理や、飲み方のペースによって少し変化をつけますが、食事時にはロックで、食事後に落ち着いてのむ時にはストレートで飲むことにしています。
泡盛、特に若いお酒の荒々しさが苦手だ、という人はぬるめで目一杯薄めるか、ほんの少し濃い目で冷たく水割りをするのがお勧めだと思います。
刺激の強さを避けて、お米のお酒の持つ本来の甘みを感じることができます。
ある意味調整が効く分だけ、初心者に向いているかもしれません。サワーなんか飲んでいないで原料のおいしさを楽しみましょう。

最近泡盛の古酒がブームになりました。
古酒は本当においしいです!
もちろん、新しい泡盛もおいしいですが、古酒はそのおいしさのエッセンスだけを膨らませたような幸せなお酒です。
お酒の苦手な方でも、薄めて味わえば必ず楽しめると信じています。
古酒というのは、甕などで何年もお酒を寝かせたものを言いますが、泡盛を熟成させる条件は「しっかりふたをしておくこと」と「度数が高いこと」だそうです。
それだけ守られていれば、瓶の中に詰められた泡盛でもちゃんと熟成していくと色々な酒屋さん等で教えてもらいました。
このあたりもゆっくり時間をかけることやおおらかに熟成させられるというのが沖縄らしい気がします。

わが家では、年を重ねて、食卓に上る日を夢見て眠っている泡盛が数十本あります。がんばっておいしく熟成するんだよ、みんな。

私の特に好きな銘柄としては、いりおもて、松藤、瑞穂、咲元、玉の露、どなん、与那国、舞富名あたりがあります。
中でも、与那国特有の「花酒」と呼ばれるどなん、与那国、舞富名の60度の泡盛は、おいしいのみ方をするととっても幸せになります。
毎回わかっているのに、飲みすぎて記憶を失います。
(60度の泡盛をグラス一杯飲むと摂取するアルコールの量は200×0.6=120ml で、これをビールに換算すると350ml缶6本分に相当します。2杯飲んだら記憶を失くすのも至極当然です)。
ウイスキーやスピリッツにも度数の高いお酒はありますが、やはりお米のお酒だけあって、それなりに量を呑んでしまえるので困っています。
ちなみに、RAHさんはご存じかもしれませんが、この花酒、お米のお酒のくせにラベルに「清酒」とも「焼酎」「蒸留酒」とも書かれていません。
是非、どこかで見つけたらラベルを見てみて下さい。「原料用アルコール」と書かれているはずです。まったく、失礼な表記だと思います。

あー、すっきりした。

四股の踏み方

さて、この投稿が水曜日の午前2時になされていることに気を付けてください。

わが道場では、やべっちの洗礼依頼「四股はすばらしいもの」という都市伝説が生まれ、常日頃から四股を踏んでいます。
四股は踏み方によって、鍛えられる部位が異なります。
もちろん四股の踏み方によっては、非常に効果的な筋トレになることもありますが、やはり四股の目指すところは
呼吸と力の出し方の一致
にあると思っています。

そのため、四股を踏む際に注意することは、まず第一に腹に呼吸を落とすことです。
そのためには、上に上がった時に息を吸い、腹式呼吸をしながらゆっくりを腰を落とします。
この際、足を強く踏み込む必要はありません。
深い呼吸に合わせながら、ゆっくりと膝のばねを使って腰を落としていくのが大切です。

次に状態をしっかりと起こしていることが大切です。
状態が前掲していると、腹が圧迫されて、呼吸の通り道を意識することができません。
当然、呼吸と力の一致を感じることもできません。

さらに、呼吸を吐ききった瞬間と腰を落とした位置の関係も大切です。
腰を落としている位置と呼吸を吐ききったタイミングの関係は両者の連関にもっとも重要なことだと思います。

また、直接四股とは関係していないかもしれませんんが、呼吸の仕方は四股の基本であり、非常に重要です。
丹田呼吸の基本ができることが四股を踏むにあたってもとても重要だと思います。

私は石松かな

Eさんの「誘い」にまんまと誘導されました。
手を出されると握ってはいけない、と思いつつも握ってしまう。
悲しい習性です。

私の世代だと、
・リングにかけろ
・風魔の小次郎
・男坂
・聖闘士星矢
・聖闘士星矢 冥王神話
・雷鳴のZAJI

くらいでしょうか。
「リング」は死にっぷりと生き返りっぷりに毎回感動しました。
あの漫画の中で生き返らない人って・・・
夢あふれる少年時代にはスペシャルローリングサンダーにあこがれていました。

「小次郎」はなんと言っても木刀でしょう。
風林火山はじめ、種々さまざまな木刀はきっと今でも我々の心をとらえて離さないはず。

「星矢」は少し年齢が上がっていたせいもあって、ブロンズ・シルバー・ゴールドの強度比等を数値化してくれ!
と思ったりしました。どうやったらゴールドになれるか、是非Noriさんに伺いたいところです。

「冥王」篇はすっかり大人になっているため、流し読みした程度ですが、夢あふれる方でこのお話をとても愛していらっしゃる方がいるとの噂を聞きました。

そして何より「男坂」の終わりっぷりですね。

「自分の合気」を目指して3(補足)

本題からそれるので、後回しにしましたが、以前稽古方法について質問を受けたこととも関わるので触れておきます。

前の記述で道場の稽古スタイルを二つあげました。
 (1) 単一の目的に向かって、統一された稽古を行なう
 (2) 個々の目的に向かって、それぞれが稽古を自分なりに解釈する

この長短について大まかに述べておきます。
(1)のスタイルの道場では、「このやり方をしなさい」と統一された単一の方法を教えてくれます。そのため、門人は自身が向上するためにどのような稽古をするべきか悩む必要はありません。指導されたことをしっかり稽古すれば必ずその目的とする方向に向かった稽古をすることができます。
それゆえ、長所として特に最初の頃は成長のスピードが速く、あるレベルまでは迷う事もなく上達することができます。
しかし一方で、同じ点において短所が存在します。
道場の目的と最初から最後まで目的が一致している人でかつ、稽古方法もその人に適している場合はこれほど理想的な稽古方法はないのですが、自分の目的が道場の目的と一致しない場合や稽古方法が自分にあっていない(その稽古方法ではなかなか上達できないと感じる)場合には非常につらくなります。
指導される稽古方法を続けて上達したとしてもそれが自分の目指すものでなかったり、一生懸命やっているのに全然上達しなかったりと、本人にとっては本当に深刻な悩みになるケースが多いです。

(2)のスタイルの道場では、「自分で考えなさい」と放り出されてしまう部分があります。そのため、門人は自身が向上するためにまず何をやったらよいかから悩まなければなりません。特に最初は何をやったらよいかわからないので、色々なことを試してみて雑食になったりします。自分の稽古する方向が簡単にはみつかりません。
それゆえ、短所として最初の頃は成長のスピードが遅く、また人によっては「この道場はあんまりきちんと教えてくれない」「もっと簡単な方法を教えてほしい」と思ったりします。
このスタイルの長所が現れるのは、有段者になって以降だと思います。
最初の悩ましい時期を超えて、一通り技ができるようになってくると、次第に自分の目指すべき方向も見えてきます。また、自分が抱いていた当初の目的が変わった場合や自分の資質や技術の上達の過程に合わせて稽古方法を組み直したり修正することが常にできます。最初から方向を探すことを稽古の一環としてきたからです。
最初にかなり悩みながら時間をかけて稽古することができない人には向かないスタイルかもしれません。

上記のように、それぞれ一長一短があります。どちらがよい、とは多分結論できないと思います。
その上で、私自身は道場のより多くの仲間とよい長くに渡って一緒に稽古をしたい、という思いからじれったいと思われるかもしれませんが(2)のスタイルを採っています。
道場生のみなさんのご理解をよろしくお願いします。

「自分の合気」を目指して2

私はそれぞれ違った目的をもって合気道の稽古をするので構わないと思っています。
では、その上でどうやって自分の合気道を作り上げていくかですが・・・

もし、単一の目的で統括された道場であれば、普段の稽古においても、また講習会等で学んだことであっても、みな統一の解釈をもって稽古に取り入れた方が合理的です。
むしろ、それぞれが勝手に自分流を求めて道場の方針とする稽古以外のものを取り入れるのは、自身にとっても道場にとってもマイナスにしかなりません。
何よりも道場の指導者の先生の教えを第一に(以上に唯一に)忠実に学ぶべきだと思います。

しかし、個々の目的が違う道場では反対にそういう稽古はできません。
単一の稽古を行なってしまうと、門人の中には自分の目的が全く達成できなくなってしまう人が出てくるからです。

では、稽古を行なう方はどうするか。
実はそんなに難しくはありません。仮に道場の目的が単一だろうがそうでなかろうが、指導者の考え方・技は結局一通りしかないわけですから、自分の考え方と稽古を行なうしかありません。
つまり道場のスタイルがどんなだろうが、結局指導者にできる稽古スタイルは一つ、ということです。

では、門人はどうするのか?
普段の稽古が一通りしかない以上、その稽古をもとに自分の合気道を作り上げていくしかありません。ただし、稽古は一通りでも目的が複数あるので、稽古をどのように解釈するかは個人に委ねられることになります。
別の言い方をすれば、稽古として与えられるものはみな同じですが、それを糧にどのように成長するかは個人次第、つまり基本となる部分から自分で作り上げていくというわけです。この方法は単一の目的で導かれるのと異なってある意味放置されるわけですから、自分の形を作り上げていくのに非常に長い時間がかかります。

ここまで書けば気が付かれる方もいるかと思いますが、名古屋至誠館でできるだけゲストの人の稽古や講習会への参加を進める理由は、「できるだけ色々なスタイル」を学んでもらうためなのです。
普段の稽古が一通りしかないことは、例えれば毎日が肉や魚に偏った食事をするのに近いと思います。食べ物でいえば、「これだけ食べればよい」という食品はありません。いろいろな食品すべてに必要な栄養素が含まれていて、そのバランスが大切なのです。
とすれば、普段の稽古以外の稽古を経験することで、普段摂取することのできない要素を吸収して、自分の合気道を作り上げる糧にしてもらうことが私のできることの一つだと考えるのです。
もちろん、色々なものを食べれば消化不良になることもあります。また、他の合気道や稽古、武道に心惹かれる時もあると思います。そんなことが一切ないとしたらそれは人間ではないような気がします。
その際は、(消化剤として偏っていることは承知の上で)その人の目指すものにむけてどういう稽古をしたらよいのか一緒に悩むのが私の役割だと思っています。人間は雑食動物なので、稽古においても時に色々なものにチャレンジしてみてよいのではないかと思います。

そういう経験や姿勢そのものが同時に、自分らしい合気道を作り上げていく原動力にもなるのではないかと思います。

なので、どんどん自分のやってみたいことをやってみて、それを頑張って消化しようとしてみて下さい。その消化を手伝ってくれるのが仲間だと思います。
食べ物でも咀嚼はゆっくり数多く、といわれますよね。
慌てる必要はありませんよ、Noriさん。まだまだ寿命は長いです。多分。

「自分の合気」を目指して1

土曜日は午前の東郷の稽古、午後の桑名の稽古会ともに充実していて楽しかったです。
特に午後は今回は4道場から参加者があって稽古にバリエーションがあったと思います。
自由形式の稽古会ならではだと思います。
ありがとうございます。Naoさん。

さて、Noriさんの稽古日誌にもありましたが、どうやって色々なものを消化して「自分の合気道」を作り上げていくか、というのはとても難しい課題だと思います。
というのは、そもそも合気道や武道に何を求めるかという一番基本的な点でそれぞれの目標が異なっているからです。
 ・人格を磨き上げたい人
 ・武術としての合気道を追究したい人
 ・より多くの技術を身に着けたい人
 ・稽古を通して和を求めたい人
 ・いつくかの目的を複合的に求める人

道場によっては、この中の一つのみを是とし、他の目的での稽古を許さないところもあります。実は個人的にはそういう道場が合理的だと思います。
というのは、あれもこれもいいよ、という姿勢を取るとどうしても極めることができなくなってしまいます。
例えば、技術の追究を目指す人と和を求める人のどちらも認める、という姿勢を取るとどうしても双方向きの稽古を織り交ぜることになります。そのため、時には自分のやりたくない稽古をやらなければならないことも出てきます。
これに対して、道場の目的をただ一つのみと定めれば、指導者はその目的とするところに向かって稽古をすればよいですし、またそれ以外の目標を求めることを禁止するのが当然となり、一つの目的に向かった稽古の質は飛躍的に向上します。別の言い方をすれば、単一目的に限定された道場では、何よりも道場の目的に向かって指導者が経験上一番よいと思う稽古をするのが合理的であり、弟子も(当然同じ目的を持つゆえに所属するのですから)それを逸脱することは却って上達の阻害となるわけです。

かつては少数の門人のみで唯一の目的を目指して稽古をした道場もたくさんありました。
現在はどうなのかはよくわかりませんが、きっとまだ世の中にはそういう道場もたくさんあるのでしょう。

名古屋至誠館は残念ながらそういう単一目的の道場ではありません。
色々な人が集い、色々な目的で合気道を学ぶ。
そういう道場です。

では、そういう道場ではどうやって自分の合気道を作り上げるかですが、それは次回に。

6月18日(水)稽古日誌

先週の土曜日にNoriさんが出稽古にいった時点で、今日の稽古担当はNoriさんに。
Noriさんの稽古もすっかり板についてきました。
これまで痛む心を鬼にして (-_-。) 丸投げしてきた甲斐がありました。

今日の稽古は相手とのつながりを意識する稽古でした。
相手との繋がり、微妙な力加減と接触状態を維持して相手をコントロールするのは、合気道の独特の動きだと思います。

力いっぱい相手をつかんで動かすのに比べて、ある意味中途半端な力の状態で技をかけるのは非常に難しいですし、同時にストレスも溜まります。

どうしてもなれないうちは、思いっきり動いたり、反動を利用したりとなかなか上手く力を加減することはできません。
この手の力の制御は、一方では型稽古を工夫する必要がありますが、同時に自分の感覚を研ぎ澄ませていく感覚的な稽古も大切だと思います。

私の好きなある先生が「相手との接点はセンサーです」と説明してくれたことがあります。
全くその通りだと思います。
センサーに強過ぎる力をかけるとセンサーは働かなくなってしまいます。
頑張って素晴らしいセンサーを身につけましょう!

年齢ごとの稽古の方法

新しい方も何人か入られたので、改めて色々と書いてみようかなと思っています。
ふるい投稿を探してみたのですが、何しろ投稿数が多すぎてめくるのが大変。
検索しようにも、きちんと検索できない。
ということで、中には「以前読んだぞ」という人がいらっしゃるかもしれませんが、時を経て私の考え方も少し変わっているかもしれませんし、リメイクも流行っていることなので御容赦下さい。

大人になって稽古を始める方の大きな不安に
「この年から始めてもちゃんと上達できるのだろうか?」
というのがあると思います。

始める前にはどうしても
稽古 = 連続した運動
というイメージがあって、抵抗を感じてしまうと思います。

しかしそれは思い違いで、合気道の稽古方法には色々なルートがあると思います。
子どもであれば、まずは(身体から湧き出る)エネルギーを全身で使って稽古する。言いかえれば身体全体をリズミカルにつかっての稽古だと思います。
青年であれば、力の許す限り全力で稽古する。筋肉と膂力を存分に使っての稽古が好まれると思います。
しかし、こうした稽古はある一定以上の年齢には非常につらいと思います。
特に始めて間もない初心者にとっては、あっという間にばててしまったり筋肉痛になってしまい、嫌になるかもしれません。

けれども、合気道の良い点は、その成り立ちがそうした外部的な運動量や腕力に依存していません。
若い人が身体をどんどん使って一定レベルまで上達しても、必ずどこかで「練る」地味な稽古をしなければならなくなります。
その時には、それまでとは違った頭と意識を使った稽古をしなければならなくなると思います。
言いかえれば一定以上の技術を習得するには、身体を動かすことも、意識を重視した稽古も必要だというわけです。
ならば、ある程度年齢の上の人は、持ち前の忍耐強さを発揮して、最初にその「練る」稽古から始めればよいのではないでしょうか。

一般に「練る」稽古は地味で、身体の内部への意識を重視します。
そのかわりマラソンや無酸素運動のように体力を激しく削り取ることはしません。
そこで、まずはそうした「練る」稽古を多めにしながら身体を慣らしていくことができます。
身体を大きく動かす部分はなんだかんだとやっているうちにそれなりに慣れてできるようになります。
ただ、そうなる前に稽古が嫌にならないように、子どもや若者とは稽古の質的なバランスを変えればよいのです。

つまり、最終的には同じものを目指すとしても順番を変えてやることで、無理をしなくても自然に稽古を進めていくことができると思います。
中には、この順番を変えることができない武道もありますが、それが可能なのが合気道のよいところでしょう。

体力等に自信のない人も安心して稽古をして下さい。

同期のススメ

私は大学で体育会に所属していました。
当時の体育会の練習といえば=「つらい」でしたが、そんなつらい練習も同期(同級生)と一緒だとなんとか耐えられました。
また、一緒に稽古を始めた仲間は今でも強い結びつきがあります。
久しぶりに会って酒を酌み交わすと、一気に昔に戻ることができます。

道場は部活とは違いますが、やっぱり同じ時期に始めた仲間、というのはちょっと特別な存在ではないかと思います。
とはいえ、うちのような道場の場合、入門する時期もまちまちなのでなかなか「一緒に始める」ということはありません。

普通道場に行って見るというのは、おそるおそる知らない人の中に一人で入っていく、という感じなのではないでしょうか。
そうするとどうしても自分だけが部外者な感じがして気後れすることもあります。

さて、ここからが本題です。
この6月に新たに入門された方が何名かいます。体験に来た人、体験に来るタイミングを計っている人、ちょっと躊躇している人、体験したけど入りそびれちゃったな、という人。
同期のたくさんいる今がチャンスです。
新しい人がたくさんいれば「自分だけが新人」ではありません。
プレッシャーなく始めてみたいな、という人。
なかなかこれだけたくさんの人が同時に入ることはありません。
今が絶好の機会だと思います。

ありがとうございます。

もしご覧になっていたら、御礼申し上げます。
今日Noriさんが出稽古させていただきました。
関係者の皆様、本当にありがとうございます。

うちの道場の方針として、いろいろな先生に教わってそれぞれが目指す合気道を見つけて練磨することと、合気道の目的の和を広げることは何より大切だと思います。

そういう機会を与えて下さってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

追伸:Noriさんが出稽古させていただいた道場のSさんと稽古したいな!

子どもの稽古方針

名古屋至誠館ができてはや1年半。
開設当初は8人だった子どもが現在では幼稚園から高校生まで21名。
とても賑やかになりました。

子ども達はとても熱心に稽古しています。
やはりたくさんの同世代の存在は、互いに刺激になり向上心に繋がっているのだと思います。
よく「環境が人を育てる」と言いますが、本当にその通りだと思います。
素晴らしい子ども達と理解のある保護者のみなさんに深く感謝するとともに、これからも素敵な子ども達と縁ができて一緒に稽古できることを心から願っています。

さて、名古屋至誠館の子どもの稽古方針は道場開設以来、変わっていません。
 ・子どもをばかにしない
 ・子どもの能力に勝手に限界を設けない
 ・子どもの能力の高さを信じる
 ・それゆえ子どもにも大人と同じものを求める
です。

こどもに手加減・妥協はしない。
だから時々つらいことがあるかもしれません。
でも、つらそうな顔をする子はいません。
仲間がたくさんいるのですから。

本気で厳しく。
そんな稽古ができる仲間を心から歓迎します。

合気道の稽古の方法について

新しい仲間も増えて稽古も充実してきました。

先日体験に来た子どもの保護者からの質問にもありましたが、合気道の稽古の方法についてです。
合気道は非常に論理的な武道だと思います。
その一方で、武道である以上身体を使うものであることも間違いありません。

武道でもスポーツでも必ず身体を動かす部分と、頭で考える部分が混在していると思います。
合気道はその中でもかなり頭を使う部分が多い武道・武術であるような気がします。

では、稽古に当たってどちらを大事にするかですが、私はどちらから入ってもよいと思います
低学年の子どもに複雑な論理を頭で理解するように求めても、どうしても限界はあります(とはいってもいつも言うように子どもの限界は非常に高いので実は理解しているかもしれませんが)。そこで、頭だけでなく身体の感覚で体感するように稽古をするのも一つの手だと思います。
身体で感覚的に理解した上に、論理を当てはめる、という方法です。

一方で大人は論理的に考えることが得意、というよりは習性になっています。特に非日常的な動きが多い合気道については、まず頭で理解しないとなかなか身体を動かすことができない、という人も多いように思います。
新しい技を覚えるときも同じで、「自分なりに」理解できるように考えた上で身体を動かす。
当然ほとんどの場合、身体を動かしてみれば「考えた通りに体が動かない」「考えた身体の使い方には矛盾がある」ということを肌で感じます。そこで、改めて考え直す。それも正しい稽古方法だと思います。イメージに身体を近づけていく、という方法です。

もちろん、頭と身体のバランスが必要なので、一方だけで上達することはありません。頭だけだとうんちくオヤジになってしまうし、身体だけだと間違った体育会系?になってしまいます。
とはいえ、両方が必要であることをきちんと心にとどめておけば、どちらのルートをとっても結局同じゴールにたどり着けると思います。
というのは、仮に理論から入ったとしてもそれを体現するには、やはり一定量の身体を使った稽古が必要であり、最初に頭を主に稽古しはじめた場合は途中から(理論が充実することで)身体がメインの稽古に変わっていくはずです。反対に最初に身体を主に稽古してる場合でも、最終的にある程度は考えなければならないので、結局どこかで理論との整合性をとるための頭を使った稽古をするようになると思います。

というわけで、名古屋至誠館ではそれぞれが自分のスタイルにあった稽古方法を選べばよいと思います。
ちなみに私は身体で覚える派なので、「とりあえず身体を動かそう!」と言うとは思いますが強制ではありません。
ただ、だれかさんのように考えすぎて悶々としている場合には、考えないで身体を使いましょうと言ったりしますが。

夏合宿の出席

連絡です。
夏合宿の予定を調整する必要があるので、現時点での出欠を確認させて下さい。
夏合宿の出欠について連絡がまだの方および変更のある方は、連絡下さい。

出欠について条件付きの方はその旨もあわせてご連絡下さい。
ex 
・基本参加の予定だが、急な出張の場合は断念
・部活が休めない場合は欠席
・どうしても1日目が仕事なので、遅れて参加
など

以上よろしくお願いします。
できれば土曜日の稽古までに連絡願います。

読書のすすめ

 

あと1月で夏至です。
昼が長くなって活動時間も増えているのではないでしょうか。
夏は活動的な時期なので、なかなか落ち着いて読書、というわけにはいきませんが、それでも少し本を読んでみたいなと思います。

このところ読んだ本は
・村上海賊の娘 和田竜
・忍びの国 和田竜
・峠越える 伊藤潤
・まんがサイエンス あさりよしとお
・民明書房大全 大河内民明丸

他にも何冊か新書を読んだのですが。
割に時代小説が多いかな。
村上海賊と峠越えは面白かったですね。min
マニアックなのが好きなのは峠越えがいいかもしれません。
子どもは夏休みに向けて まんがサイエンス とてもお勧めです。
私が知っているサイエンスまんがの中では秀逸です。
現在13巻くらい出ているはずです。

5月31日(土)稽古日誌

今日は参加者がとっても少ない予定でした。
名古屋至誠館は中高生と親子門人が多いため、
中学生・高校生はテスト明けかつ部活大会直前
小学生は運動会
で、子どもが少ないのに合わせて、母娘(父子)で稽古しているところは親子一緒に欠席のため一気に出席者が減ってしまいます。
なので、今日は少ない大人でみっちり剣の稽古しよう!
と思っていたところ・・・

思ったより子どもが多いぞ!
予定では3人くらいしかいないはずの子どもが8人。
しかも白帯と黄色帯ばかり。
大人は5人+「剣をやります」案内につられてきた人で計6人。
というわけでいきなりパニックに。
剣をやります、と豪語したのに
どうやって稽古を回していけばいいんだ~?

そう思っているところに、Naoさんが登場。
地獄に仏とはまさにこのこと。
これで大人を任せて子どもの稽古に専念できそう。

まだ剣を握ったことのない子は剣の握り方と剣の振り方を稽古。
幼稚園児二人が一生懸命剣を振っている姿は見ているだけでほほえましいとともに、自分達も気を引き締めて真剣にやらなければという気になります。
分かっているか、中学生。

黄色帯の二人はさすがに稽古をはじめて1年近くになるだけあって、やるべき時は真剣にやってくれます。
今日一番目を離して稽古してもらっていたのですが、サボることなくしっかりと稽古してくれたと思います。

その二つのグループの合い間を縫って、中高生の組太刀を稽古。
こちらはもう大人と同じ意識でやってもらいたいところ。
ただ形ができればいい、というものではありません。
まだまだ課題がたくさんです。

大人の人の稽古日誌はだれかよろしく。

稽古後の自由稽古は掛稽古の形で体術をやりましたが、ともかく暑い。
昼前には風もすっかりなくなり、みるみる体力がなくなっていくのを感じました。

水曜日からいよいよ昇級審査。
さあ、トップバッターは誰だ?
ふふふふふ・・・

5月31日の稽古について

5月31日土曜日の稽古について重要な連絡です。

今週末は真夏日でお天気もよく、絶好の運動会日和です。
わが名古屋至誠館は親子会員と子どもが多いため、今週末は
み~んな運動会
になっています。
もしかすると、今週末小学生は2名しか来ないかもしれません。
大人も応援に出かけなくてはいけないので、少ないです。

ということで、今週末の稽古は剣と杖を中心に稽古しようと思います
せっかくなので、日頃人数が多いときにはできない稽古をみっちりしましょう!

一人稽古

ここしばらくの稽古の大きなテーマの一つは「流れ
うちでは身体を作る稽古や、身体の動きを意識する稽古をよく行うため、どうしても動きが固くなったり途切れ途切れになったりします。
そのため、Noriさんも書いているようにイメージ通りに技がかけられずに悶々としてしまう人も多いと思います。

それならなんでそんな固くなるような稽古をするんだ、ということですが、単に形だけでなく効果的に技をかけるためにはやはりしっかりした体幹が重要だと思います。詳しいことはまた別の機会に述べるとして、ともかく普段やっている基礎の稽古は大切だというわけです。

そうすると次に問題になるのは、「身体をつくってもそれを実際にうまくつかえなくてはどうしようもない」ではないかということです。
そのためにおすすめが一人稽古です。イメージ通りにうまくかからない理由の一つは相手という「負荷」の存在です。物理的な力の衝突という意味でも、うまくかけなければという精神的なプレッシャーという意味でも相手がいると身体の動きが委縮しがちです。
それならいっそのこと、一旦相手をなくして自分だけでシャドー(素振り)をやるのもいいと思います。他のスポーツでも、武道でも素振りや一人で型稽古をするものは多いです。合気道は相手との感触を大切にするのでほとんどそうした一人稽古はしませんが、実は結構有効だと思います

ただし気を付けなければならないのは、きちんとした動きができないで一人稽古を続けると、変な癖がついてしまいます。特に相手がいないと負荷がかからないので、自分の自由なイメージで自分の好きなように動けます。だからこそ、自分自身の体幹や姿勢がしっかりしている必要があると思うのです。

一人稽古でしっかりとイメージを体に染み込ませて、そのイメージと実際に相手にかけるときとの感覚の違いを大切にするとよいのではないでしょうか。といっても「一人上手」になってはいけませんが。

5月24日(土)稽古日誌

今日はまだテスト週間であるせいか、中高生が少なかったです。
小学生もすくなかったため、うちには珍しく大人の方が多い稽古となりました。

今日はわざわざ東京から稽古に来てくれたKPさんがいるので、例によって丸投げ。

子どもが少ないのと、黒帯が多かったのでたくさん稽古できるぞ、とわくわくしました。
今日やった技は
・正面打一教
・片手取二教
・後取小手返
・横面打三教
・横面打四方投
・片手取自由技掛稽古

技自体はいつもやっているものでしたが、入りと捌きが若干異なっているため新鮮(あるいはとまどった)かもしれません。でも、色々な捌きがあるのが合気道です。頑張って稽古しましょう。

今日の稽古でもいつも通りRATさんが元気に受けをとっていました。だから疲れるんだって。
今日の私の一番の反省点はT君に相撲で負けたこと。
私にリベンジするために稽古してくることは想定すべきことであって、それを忘れていたのは私の失態です。
心から反省して、稽古をし直します。

反省会の反省

館長です。
先週の土曜日の夜に「反省会」を行いました。
その報告というか反省です。

今回はみなさん色々と用事がある人が多かったので、扇川沿いで駅近という条件で場所を探しました。
みなさんの参加時刻がばらばらだったため、とりあえず7時過ぎにAFWさんと私とゲストのKPさんでプレスタート。
30分ほどしてMigthyさんと山鉄さんが合流。
この時点でAFWさんと私は「練習」のしすぎでややグロッキーに。
「生ビールがあるじゃないか」と、同じビールならピッチャーの方が割がいいとの合理的判断の下、二人にも関わらずピッチャーをたのんだため、合理的な判断に陰りを生じ、さらにお代わりをするという反省会らしい飲みっぷりにいささか問題があったようです。

Noriさんたちが到着した頃にはすでに若干思考力が低下し始めていました。AFWさんはその辺りからスイッチが切れ始めました。Mightyさんと山鉄さんは何やらあつい車トークをしていたような気が。
反省会の間何度かNoriさんに叱られたような気もしますが多分気のせいです。
こちらもバイト帰りに参加してくれた日拳T君ともたくさん話をしました。
でも、少しだけ覚えていません。すみません、

食べ物のおいしい店で、つまみもおいしかったです。
そういえば、「炙ったイカ」がなかったのが残念かも。

近くにお目当てのお店を見つけておいたので、二次会に行こうと思ったのですが、なぜか別の店に行くことになりました。お目当ての店に行ったのは私なのですが、どうしてその店に行かなかったは記憶にありません。
きっと、記憶しなくてもよい程度のささいなことだったに違いありません。

帰りはT君に送ってもらいました。というより、きっといたいけな私を夜遅くに一人で帰すのは、心配だったに違いありません。気配りありがとうございます。
いつもの通り、とても楽しい反省会でした。
今回の反省会では、私は特に反省すべきことあありませんでしたが、きっとNoriさんあたりから「反省会について反省しなさい」と言われると思いますので、6月28日に「反省会の反省」をする予定です。
よろしくお願いします。

5月21日(水)稽古日誌

今日は稽古熱心なNoriさんが意に反してお休みでした。
相変わらずテスト週間ということもあり、中高生の出席が少なかったので少し道場が広く感じられました。
土曜日と水曜日で改めて感じるのは、中高生がおおいなあということです。

さて、今日の稽古は
力の方向を感じ取る
でした。

最初は片手取の四方投げ。
普段の技の稽古とは違った形で稽古しました。
受けにしっかりと力を入れて握ってもらい、相手との力のぶつかりを感じながら力のぶつからない方向を感じ取る。
身体の接触点(この場合は手首)をセンサーにして力の衝突を感じ取り、身体を動かします。
ただし、正中線の維持と姿勢の維持は忘れないようにするのが大切です。
力をぶつける場合でも相手を制する場合でも、相手の力を感じ取って対応するのは異ならないと思います。

次は諸手取の天地投げ。
これも力の方向を感じ取ることを目的とした稽古をしました。
相手の力とぶつかる方向を感じ取って、ぶつかる方向と力をずらして相手を崩すことを目的とします。
これも相手を投げること以上に、力の流れを感じとることが大切だと思います。

続いて座りで諸手取からの合気上げ。
今回はしっかりと力の抜ける形を最初に指示して稽古してもらいました。
脇が締まって力まない形で身体を動かすことができる形で反復稽古をすることで、力がぶつからないという感覚を「何となく」理解してもらえるのではないかと思います。

最後も脱力を意識した稽古で、片手取を反対の手で崩す稽古。
持たれた手に力を入れると、相手が力のよりどころを手に入れる(2点で腕を支持することができる)ので、耐久力が高くなって崩しにくくなります。取られている手を脱力することで、相手の支点を1つ失くしバランスを維持するためのよりどころを取り払います。
これも、そんなに難しい動作ではないので、何回か繰り返せばできるようになると思います。

さて、いよいよ週末は反省会です。
リクエストに応えて夜やりますよ~。