私は合気道や柔術の動きの絶対速度は遅いと思っています(異論がある方すみません)。
例えば、空手のように静止した状態からどれだけ最短時間で拳や足の速度を最高速にもっていくかを突き詰めていく(とこちらも異論は聞き流して)と考えられる武道では、いかに身体の動きの無駄を省いて絶対速度を上げるかが重要になるのでしょう。
もちろん、柔術においても絶対速度が速ければ速いほど相手に対してゆとりができるので技はかかりやすくなります。
しかし、物理的な速度には限界があるとともに、そもそもそれだけ絶対的な速度が出せるのであれば柔術より剛術の方が向いているのではないかと思います。
例えば、力積については速度が2倍になれば力積も2倍に、運動エネルギーについては速度が2倍になればエネルギーは4倍になります。
で、私自身はそんなスピードに自信がないこともあり、剛術は途中で断念しました。
それに対して柔術における速度は相対速度であると考えます。
相対速度という表現を用いると、相対速度であっても速度そのものは存在するのだから、やはり絶対速度は必要だろうという意見も出てくると思われるので、もう少しきちんと定義するなら、ここでの「相対速度」とはアインシュタインやガリレイの相対原理における「みかけの速度」の意味での速度を意味します。
例えば、かなり早い突きをさっと捌いたとします。この時絶対速度としてはたいしたことがない動きであっても、相手の突きを「いとも簡単に捌いた」という結果があれば、それを見た人にとっては「あんなに早い突きを捌いているのだから、捌く方の動きはもっと早いのだろう」と思われます。つまり、捌く方の速度は、突く方の速度を基準に評価されるのです。
これを別の言い方で言い換えると、如何に相手の速度にのせるかのような感覚で技を出すか、が腕の見せ所になるわけです。
それゆえ、柔術ではいかにに技術によって「相対速度」(特に相手に対して)を向上させるかが、最重要な課題になるわけです。
また、絶対速度ではなく相対速度であるがゆえに、物理的な肉体の力がなくなったあとの年齢でも技術が向上しうると思います。
今日は県外まで稽古に行ってきました。
参加者は黒帯5人と茶帯1人。
たんたんと技の稽古ができる素敵な稽古でした。
個人で参加ということもあって、思う存分「自分のスタイル」全開で稽古できてとても楽しかったです。
今日みたいに、自分も稽古者の一人となって稽古できるのは大好きです。
もちろん、普段の稽古は楽しいですが、自分の稽古はなかなかできないので時々こんな稽古も嬉しいです。
実は自分自身は基本的に進んで教えることは好きではありません。子どもは立場上うるさいくらい言ってしまいますが、大人については聞かれればいくらでも答えますが、特に聞かれない限りそれぞれが自分で感じて自分のスタイルで稽古すればよいと思っています。なので、何も言わずに自分の稽古ができる時間は実は大好きかも。
でも、一緒に稽古している人達がうまくなるのも大好きなので、色々聞かれることは全然いやではありませんよ、Noriさん。
今日の稽古の反省点。
反省は剣をもっと稽古しなければ。
今日は久しぶりに午後一の稽古。
道場が長く取れたので、前半に子どもの稽古をやろうと企てていました。
で、私は子どもの稽古。
今日の課題は「受身」です。
受身がきちんとできないと、怪我もするし、お互いに上達もしません。
とはいえ、受身だけなんて「超地味」な稽古です。
子どもからはブーイングが聞こえてきそうですが、それでも強行。
ひたすら投げ続けられる中で子ども達が何かを感じてくれていればそれで満足です。
あ、でも子どもたちは不満かも。
だってねぇ、転換をたくさんやって、その後受身の一時間半だからねぇ。
今日はNoriさんと副館長代理補佐さんの稽古でした。
着実に私の「丸投げ構想」は進行中です(ニヤリ)。
稽古そのものは良かったのですが、1点不満が。
二人がお互いに遠慮しあっていたのか、打ち合わせの中で納得してしまったのか「説明」が不足だったような気がします。
技そのものの細かい説明以上に、「今日はこれをテーマにしよう」というのがはっきり伝わった方がよいと思います。
もちろん、説明はしていたのですが、アピールがもっとほしかったです。
稽古自体は二人の悩みが出ていてすごくよかったと思います。
水曜日は大人が少ないので、子どもの稽古中心になりますが、それもいいですよね。
私以外の人が稽古を担当してくれると、子ども達とたくさん稽古できてうれしいです。
私としては、どうしても大人の稽古が削られてしまうのが気がかりです。すみません。
土曜日はしっかり大人の稽古をしましょう!
型稽古の大切さについてコメントがあったので、思うところを少し。
合気道のような柔術は、空手などの剛術とちがって物理的な指標がほとんどありません。また、合気道には試合もないため、一つの基準に基づいて優劣を決めることもありません。
ちょっと横道にそれますが、私は柔術には試合がない方がよいと考えています。柔術の目標は理合の理解と習得、体現だと思っています。で、これはとてつもなく時間がかかるもので、目先の試合に勝つという目標とは正反対に近いと考えます。それゆえ、試合はない方が「長い目」で見たらよいと思うのです。
さて本題に戻りますが、こうした柔術を身に着けるにはいろいろな稽古をした方がよいと思うのですが、その中でももっとも大切なのが「きれいな形」「かかりやすい形」での型稽古の反復だと思います。
自分の姿勢が窮屈だったり歪んでいると身体とその動きに変な癖がついてしまいます。相手との約束稽古ではそれでも技がかかるのですが、いざ自由にかけてみようということになると、この癖が問題になります。うちの道場でもそうした癖を修正するのに苦労している人がいます。
また、一方で受けが素直でない(という表現でよいか難しいですが)受けを取ると、技をかける方はなかなか技がかかりません。初心者であれば、正しい形がなかなか身につかなかったり、中上級者であれば今まで身についていた形が間違った方に湾曲されることになります。
特に初心者に対しては(もちろん初心者でない相手に対してもですが)、できるだけ「自分が知っている一番良い形」で投げられるように受けてあげるのがよいと考えます。投げる方が自分の形を修正するなら「きれいな受け」とのずれを感じ自らの技を修正する方がよいと考えます。
名古屋至誠館として稽古を初めてからちょうど半年が過ぎました。
一番最初の稽古は大人3人、子ども8人の計11人ではじまりました。
その後Mightyさん、山鉄さんを皮切りにたくさんの大人と子どもが稽古に参加してくれるようになりました。
特に小さな時期から稽古や懇親会に参加してくれている山鉄さんやMightyさんにはとても感謝しています。
先生にもいつもお心にかけていただいて言葉にできません。
最初は大人が一人休むとさびしい雰囲気でしたが、最近はゲストも合わせると大人も毎回5人はいるので、稽古もどんどん充実してきています。
白帯も5人入って、こちらも先々が楽しみです。
またありがたいことにたくさんの方がゲストとして参加してくれます。
これも楽しみであるとともに本当にありがたいかぎりです。
再来週の夏合宿には30人近くの方が参加してくれます。
たった半年にここまできちんと稽古ができるようになるとは夢のようです。
本当にみなさんこれまでありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
今日は大人6人、子ども10人でした。
大人はほとんどが黒帯なので安心していられますが、子どもは今日は茶帯が3人休みだったので、最初は少し不安でした。
で、今日はNorikoさんの稽古。
自分の悩んでいること、やりたいことを稽古のテーマとしてしっかりと考えてきてくれました。
とてもしっかりまとまった稽古だったと思います。
別に教えられなくても、全部理解できていなくても稽古は担当できると思います。
稽古担当者は稽古にテーマを与えてそれをまとめることができればよいと思っています。
むしろ、それぞれが悩んでいる点をテーマにすることで、みんなが自分のできていること、苦手なことを理解できるよい機会になるのではないかと思っています。
怪我で稽古ができない丸儲けさんがNorikoさんが練習しているところを凝視していました。
Norikoさんの悩みと上達が見て取れてとても参考になるそうです。
同感です。
稽古の内容は後でアップされるはずなので、福館長代理補佐の来週の参考になるかと思います。
いや、きっとなるでしょう。
夜といっても、定例飲み会の話ではありません。
普通の稽古です。
もちろん定例飲み会は定例であります。
近々の予定としては、夏合宿、合宿反省会、Y君を祝う会、稽古を見学して語る会、遠征反省会、講習会反省会、BBQ大会、忘年会、ぐらいかな。
そんなに多くないですね。
さて、本題ですが、子ども達の最近の成長がすごくうれしいです。
ガツガツ稽古したり、同じ動作をひたすら繰り返したり、地味~な稽古をしたり、精神的に幼い子だったらとても我慢できないような稽古も楽しそうについてきてくれました。本当にありがとう。
きっと、そんなみんなの努力が文字通り「身について」来たのでしょう。
随分難しい注文が付けられるようになりました。
そんな注文さえも、「楽しい課題」と受け取って自主的に稽古してくれる子どもたちがとても頼もしいです。
うちには、稽古をさぼる子も斜めに構える子もいません。
だからこそ、彼らに失望されることのないように、きちんとした稽古をしなければならないと思っています。
大人の人も手伝ってください。
そうそう、今日は副指導員代理補佐さんの稽古でした。きちんと考えて稽古を組み立ててくれてありがとうございます。
おかげで、私の自由度が高くなって、稽古がしやすくなります。
一つだけ。私の基本スタイルは「丸投げ」なので、途中でこちらをみてもだめですよ。知らんぷりします。
稽古をする人の一生懸命が伝われば、必ずよい稽古になると思います。
それは実際に稽古に参加している門人やゲストのみなさんがリピーターとして感じてくれていると思っています。
さて、土曜日はNorikoさんの稽古。
じゃあ、一丁さんかしてみるか、という人是非どうぞ。
でもNorikoさんがとまどわないように、参加者はあんまり自分のうんちくを語らないでくださいね。
今日は久しぶりに昼に個人稽古しました。
最近はどうしても正規の稽古時間中は白帯と子ども達の稽古に力を入れるため、大人の有段者が自分の稽古を犠牲にしなければならないことがあります。
平日はスポーツセンターも個人利用でいる日があるので、そこで予定を合わせて稽古しました。
以前はよく平日の昼に稽古していたのですが、個人的には少人数で稽古するのは大好きです。
それぞれが自分のやりたいこと、課題についてやりたい稽古をすることができて楽しいです。
時々考えたり検討しながら、どんどん技をこなすのは、感覚を養うためにも大切だと思います。
何よりも有段者同士でガツガツ稽古できるのは気持ちいいです。
Norikoさんは最近はまっている四方投げの裏。相当うまくなりました。
うまくできているときは私と変わらないと思っています。
「できる」が体感できると楽しいと思います。稽古相手に迷惑がかからない程度にどっぷりはまるのもいいのではないかと思います。
今日の稽古で「こんな場合は?」と課題を出した点についてもいろいろ試してみてください。
副館長代理補佐さんは、腰と手の動きを一致させる稽古。
これは非常に難しいと思います。Norikoさんも、一つの技ではきちんとでいてもほかの技ではそれをすぐに応用はできないので、やはりそう簡単にできることではないと思います。
でも何よりも一番大切なことは「意識」することです。ここでいう意識とは心構えや気持ちではなく、身体の細かい部分の感覚(筋肉や神経)に五感を集中して研ぎ澄ますことを意味します。自分の身体と徹底的に対話して、身体の声を感じとることが何よりも大切です。惰性や勢いで稽古しないようにして下さい。この感覚は、感じたことがない人には永遠に感じることができない感覚だと思っています。
できるようになると楽しいですよ~。
道場開設以来ずっと一緒に稽古しているNorikoさんと副館長代理補佐さんは、同じように私の説明を聞いて同じ内容の稽古をしてきたわけですが、半年たってずいぶん違いが出てきたと思っています。
それぞれ、得意な動きができてきた一方で、相変わらず不得意なものもあります。それが二人で全然ちがっているのが面白いです。
きっと二人のなかでは「あっちはできるのに自分はできない」「まずい、どんどん差が付いちゃう」とか思っているのかもしれませんが、私の目から見てきちんと伸びているところは伸びていると思います。
とまあ、その点は置いておいて。
同じ稽古をしていても体格・性別・年齢などさまざまな要素によって上達する方向に違いがでます。
それが個性だと思います。
せっかくよい形で伸びているのですから、それを大切にしながら稽古するようにしたいですね。
途中の経過やスタイルに違いができても、それがお互いの刺激になってよりよい方向に向くと思っています。
人のできることができなくても、そんなに焦らないで自分の得意なところを伸ばしながら、じっくり稽古しましょう。
それぞれの個性を大事にして、それが押さえつけられることのないように稽古したいと考えています。
今日はスポーツセンターが個人利用できたので、個人稽古。
自分が予定を入れていたためなのですが、もう少したくさん稽古したかった。
私自身はいつも話をしているように、それぞれがそれぞれのスタイルの合気道をやってもらえばよいと思っています。
なので、質問されればわかることは答えますが、道場の皆さんが私のコピーになることは望んでいません。
そんな気持ちもあって、ある程度できるようになったら考えて悩んでもらいたいと思っています。
いろんな角度から稽古や技、合気道を見ること・悩むことが進歩に不可欠だと考えています。
もちろん、一つのスタイルを徹底的に模倣して習得することもよい方法だと思います。
そうすれば、悩むことなく最短でその形を習得することができます。
ただ、この方法には2つの問題点もあります。
一つは、模倣するのが何かです。万が一中途半端な技を完璧に身に津つけてしまったら、それを修正するのは心理的には不可能だし、技術的にも習得したのの何倍もの労力を必要とします。
第二の問題点は、最短距離を進むことの代償として「絶対にわき目を振らずにそのやり方を信じて稽古すること」です。最短距離を進むがゆえにいったん悩みや迷いが生じたときには、もとに戻れなくなってしまう場合もあります。
そんなわけで私は自分のコピーを望みませんし、みなさんには早い時期から悩んで稽古してほしいと思っています。
今日は花火を買いに行きました。あ、違った。
今日は「くるくる回る」をテーマとしました。
いつも言い訳しているのですが、私のつたないボキャブラリーと論理力ではうまく説明することはできていません。
まだまだ私も未熟なので、「これが正しい」という自信もないですし、自分でやっていても確信が持てないところもたくさんあります。
付け加えれば、こうした技術はそれぞれが悩みながら自分自身のものを身につけるというプロセスがとても大切だと思うので、稽古でもできるだけ一緒に技をやって、「考えてほしいこと」だけを伝えられればと思っています。
あと、一部のうろんな方々には「ちくしょう、俺もいつかやってやる」って気持ちかな。
うちの道場は転換の稽古に力を入れています。なので、基礎の稽古としてやっている転換を少し技の中で感じてもらったり、考えてもらう機会も大切かな、と思います。
転換で最も大切なのは軸。
その上で、正中線を常に意識して技をかけたり受けたりすること。
さらに、自分の制界圏の意識。
その上で下半身を主に上半身を従とする。
それらを「意識」を主体として結合させる。
言葉にするのは難しいですが、そんなところだと思っています。
転換は動的な身体のコントロールとして効果的だと考えています。
そんなに難しく考えずに汗を流して稽古しましょう。
丸儲けさんは大丈夫だったでしょうか。
Migthyさんはブランクの割にいいんじゃないかと思いました。なのでもっと稽古しましょう。ニヤリ。
Norikoさんは見えないものが見えてきてそろそろ危ない人の仲間入りかと思っています。Welcome。
H2さんの参加をお待ちしています。そろそろ。
さて、明日の午後はスポーツセンターで個人稽古をしようかな。
今日は技の入りを稽古しました。
どんな技でも初動の部分(起こりの部分)が最も大事だと思うので、徹底して稽古してみました。
でも、とっても地味。
というよりは子どもにはつまらなかったのではないかと思いました。
特に今日は期末試験がらみで茶帯の子どもたちがほとんどいなかったので、こんなマニアックな稽古はすぐ「だれる」だろうと思っていました。
が、予想外に子どもたちがまじめ。
もしかするとここまでのマニアックな稽古で、地味な稽古に免疫ができたのか?
ならばしめしめ、といったところですす。
時間も短いのでなかなか一つ一つの技をしっかりやることはできませんでんしたが、自分のできなかったところをしっかり意識して稽古に生かしてもらえればと思います。
そろそろ次の課題もこなしていかなければいけないので、
土曜日は副館長代理さんに稽古をお願いしようかな(丸投げ)。
先日の稽古の際に父兄と話をしていて、感じたことがあったのであらためて書こうかな、と思いました。
大事なことなので、何度繰り返してもいいかな、と思っています。
名古屋至誠館の子どもの稽古の信念は「厳しさ」です。
以下は道場開設当初から一度たりとも変わっていない、一貫した考え方・信念です。
・子どもは何よりもうまくなりたいと思っている
・上達しなければ楽しくはない
・汗を流さずして上達はない
・苦労は心と身体を強くする
・厳しさと辛さと楽しさは同居する
・厳しい稽古をともにするからこそ生まれる友情と信頼がある
・苦楽をともにするから心が通じ合う
・たくましい笑顔は最高の宝物である
・子どもの心は健やかで強い
・大人は決して子どもを子ども扱いしてはいけない
・お仕着せの愛情は子どもへの冒涜である
・大人が子どもを軽んじたら、子どもは武道を軽んじる
これ以外にもいろいろな言い方はあるでしょうが、要は「子どもに本当に肉体的にも精神的にも強くなってほしいから、一緒に厳しく稽古」しているだけです。
道場に通ってくる子どもたちは家庭で親からとても大きな愛情をもらっています。
だから子どもたちの笑顔はとても無邪気で輝いているのだと思います。
そんなすてきな愛情を子どもたちに注ぐことができる保護者にも悩みはあります。家庭でできないこともあるから子どもに武道を習わせたい。
そんな保護者の期待に微力ながらも応えたい。
名古屋至誠館の大人はみんなそんな気持ちで子どもと一緒に稽古しています。
もちろん、子どもの中にも合気道が上手な子がいます。
その子達は、合気道の先輩として、これまで稽古で鍛えてきた身体と心で大人と一緒に頑張ってくれます。
残念ながら名古屋至誠館には、完璧な指導者がいません。
むしろ、有段者もみんな悩みを抱えた不完全な指導者です。
そんな我々にできることはただ一つ「真剣に」子どもと接することです。
でも、そんな我々の稽古を笑顔で乗り越えていく子ども達の姿を見ていると、大人に元気と勇気が湧いてきます。
自分たちの稽古が正しいなんて断言できません。
でも、子どもたちの笑顔を見ていると「これでいいんだろう」という気持ちになれます。
もうじき夏休みです。
名古屋至誠館は厳しさの先にある逞しさを求める子どもと保護者を歓迎します。
丁度今日で夏合宿まで1か月となりました。
今からワクワクしています。
で、表題の件ですが、現時点で合宿に参加を予定されている有段者が11名います。
せっかくの合宿なので、みんなで持ち回りで技を出して稽古したいですよね。
決して私が楽をしたいわけではありません。
というわけで、合宿に参加される有段者の方は「これをやるぜ!!」という熱い思いのこもった技をいくつか用意しておいて下さい。
以下がルールです。
・重複禁止
・辞退禁止
・一応子どももできること
・ハートが震えて、燃え尽きるほどヒートな技であること
以上
よろしく御願いします。
せっかくカテゴリーを分けているので、詳しい話はこちらでと言うことに。
稽古日誌にも書きましたが、突きに対峙するとどうしても恐怖から身体が硬直してしまいます。
身体が硬直するということは筋肉も硬直するわけですから、当然に力みます。
力むと接触点で相手にもその緊張が伝わるので、どうしても互いに踏ん張るような状態になってしまいます。
これは突きに対する場合に限ったことではありませんが、やはり脱力が大切だと思います。
それを言葉で説明するのが難しいので、稽古でもなかなかうまく説明できていなくてすみません。
初心者やすこしかじった人は、勢いで突っ込んでしまいがちです。
中には少しセンスがよくて一見タイミングよく入っているように見える人もいますが、本当にきちんと入っているかどうか「だけ」は制された腕や身体の感触でわかります。
例えば、今日は稽古で鹿島の技を行ったのですが、その中についてくる手を制して、反対の手で相手の首を制するというわざがあります。
この技や五教なんかがとてもわかりやすいのですが、初心者の技を受けると攻撃をしかけた手に衝撃を受けます。
もちろん、ゆっくり目に技を出したりすれば衝撃は小さいのですが、ともかく肘から先の部位だけに衝撃を感じるのは相手が勢いで突っ込んでいる証拠です。
仮にタイミングを計るのがうまくて早めに踏み込むことができていても、突っ込んでいるだけである以上、力みは入っているので接触点が硬直します。
必然、その後に力をいれてつかんだり、振り回して投げたりすることになります。
私の先生は突いてくる腕を押しとどめるのではなく、(やわらかく)押さえつけるように制します。
先生に腕を制せられると痛くないのです。腕への衝撃はなく、衝撃は肩の付け根より体幹部分に感じます。
興味のある人は、一緒に稽古する相手や先生にかけていただく際に神経を腕と肩に集中して感じてみて下さい。
これは私の思っていることで正しいかどうかは全く不明ですが、おそらく先生は運足+体捌きと腕の動きを別の時間軸で行っていらっしゃると思います。
別の表現をすれば、二つの緩やかに連結している大きさの異なる歯車で、足と手を動かしているのだろうと推測しています。
そのため、踏込みをした足と手の動作の終端にほんの少しのズレ(意識的なズレ)が生じます。
この感覚が技をかけていただいてたまらなく気持ち悪いと同時に気持ちいいんです。
というわけで、名古屋至誠館の道場生はお互いに稽古する際に腕に衝撃を感じたり、それをごまかしたりした場合はお互いの向上のためにきちんと教えてあげて下さい。
言葉での説明が難しいので、これ以上何とも書きようがないですが、また稽古でいろいろ研究しましょう。
今日は大人4人、子ども7人といつもに比べて少なめでした。
いつも子どもは10人くらいはいるので、少なさが目立ちました。
6月末で期末試験前ということもあり、中高生は全滅・・・
顔を合わせた親同士の会話は「今頃家できちんと勉強しているのか????」からはじまりました。
(予想通り我が家のは、半分遊んで暮らしたようで、帰ってからきっちり説教されました。)
まあ、子どもが多い道場なのでしかたないですし、それはそれ。
今日は突きからの体捌きを主眼に稽古。
道場ができて間もない頃は大人の稽古相手の少なさが課題だったのですが、最近はレギュラーメンバーやゲストがたくさん来てくれるので、いろいろな人と稽古できて非常にいい環境になってきています。
名古屋至誠館では「あるていどハードでないと上手くならないでしょう」「うまくならないと面白くないでしょう」「うまくなったかどうかは自分が実感できないと納得できないよね」という点で皆が一致しているので、体転換にしても受身の練習にしても結構ハードにやります。それが売りかも。
というわけで、今日も転換300回から始まって、20分以上受身の稽古。
うまくなりますよ、多分。
で、技で今日意識してもらいたかったことは(実は今日は大人にはほとんど説明していない)、
・間合い(必殺の間合い)
・踏み込み方(力みまない踏込)
・脱力しての入身
・軸を中心にした腰の回転
・腰の回転を主とした腕の使い方
といったあたりです。
特に突きに対する技は、恐怖心から身体が固まってどうしても力みがちです。
その辺りを意識して稽古するとよいのではないかと思います。
で、稽古後の自由稽古ですが、今日は大人が昨日の飲み会でバテ気味ということもあり、稽古後の道場は子どもたちがはしゃいでいました。
(それを止める気力もなかったかも・・・)
合宿まであと1か月を切りました。合宿でいろんな人と稽古できるように頑張って稽古しておきましょう!
まだ稽古日誌かいていないなぁ。
早く書かなければ。
と思いつつも、のほほんとしたことを。
先だっても書きましたが、今年は随分と精神的にゆとりがあります。
昨年の今頃は毎週末がイベントや会議の連続で「休む日」がなかったような気がします。
おかげさまで現在は道場も仲間のみんなの協力で順調です。
というわけで今年は束の間の心の休息を楽しんでいるわけですが。
今日はサツキと朝顔に肥料をあげました。
朝顔は何年か前に知人からもらった苗が実をつけたものを取ってあって、それをまいて育てています。
雑な性格なので、どうしても時期に遅れてしまっているのですが、それでも毎年花を咲かせて実をつけてくれます。
人間は生まれてから死ぬまでの期間が長いのですが、こうした一年草は毎年世代交代を繰り返していきます。
そんな植物と付き合っていると、時の移り変わりというか、時代の変化というか、しみじみと感じてしまいます。
この朝顔をくれた人や私がいなくなっても、毎年代替わりを続けながら朝顔は咲いていくんだろうなとか、毎年咲く朝顔がフレッシュなほど時の移ろいを感じるなとか、ちょっとセンチメンタルになってしまいます。
朝顔がそんな明るいけれどちょっと思惟深げな感じがあるからかもしれません。
うちの朝顔は今年も元気に咲きそうです!
教え子に勧められて少し前からFacebookをやっている、いや作ったのですが。
Facebookからのメールで誕生日のお知らせが来たりします。
今日も誕生日の知り合いがいたので、おめでとうコメントを送りました。
彼のページには私のほかにも30人近くから誕生日を祝うコメントが来ていて、中には面白いものもありました。
いいなぁと思うことはFacebookをやっていると、「気軽に」付き合える人(それを友人と呼ぶかどうかは私には不明)が増えて、誕生日なんかを祝ってもらえる。
やはりどうせ誕生日を迎えるならたくさんの人に祝ってもらいたいですよね。
他にも人生の祝い事にいろいろなメッセージをもらえることは嬉しいですよね。
もちろん、そのためには友達や仲の良い知人は多くなければいけないのですが。
で、そんなコメントを読んでふと思ったのが「個人情報」のことと友達の数のこと。
みなさんちゃんとネチケットはしっかりしているので、一つのコメントで個人情報が特定されることはないのですが、複数のコメントを読んでみると以外にその人のことがガラス張りになってしまう。
いいのかな、という気はします。
また、実際に知っている人と「友達」になるのはいいんですが、友達の少ない人には却ってFacebookやツイッターが寂しいのが、孤独感を強調する結果にはなりはしないかとも思います。昨今、人間疎外や群衆の中の孤独が問題になっていますが、場合によってはそうしたツールが帰って逆効果にはることもあるんじゃないかな、と(めずらしくまじめに)思ったりしました。
中には実際の知人が少ないので、ネット上の知人を探して「友達」を増やす人もいるようですが、それはさらに人間疎外を生んだり孤独感を助長したりするんじゃないかな、と思いました。
もう中年の自分にとって、こうしたツールは便利なのか怖いのかだんだん判断が難しくなってきています。
だけど、使わないとねえ。もう、ラインなんかどうしよう、って感じです。
先ほど帰宅しました。
力尽きる前に本日の報告をと思っているのですが、なぜか変換が上手くいかず、手間取っています。
今日は本当にありがとうございました。
いつものようにとても楽しかったです。
今回初めて参加してくれたH2さんも楽しんでくれたでしょうか。
同じく初参戦のM君はもしかして面食らったでしょうか?
予想通り羽目を外した山鉄さん、帰りは大丈夫だったでしょうか。
立場的にまずくならないように気を付けてください。
丸儲けさんが今日はおとなしかったことが気になります。次回は期待しています。
残念ながら今日は炸裂する姉御を見れませんでした。
Mightyさんはいつも通りろくでなしで、本当に親近感を感じます。
次は稽古で。
副館長代理補佐補助さん、幹事ありがとうございました。
これからもいっしょにちょろちょろしましょう。
H2さん、稽古でまっていますね。
きっと副館長以下同文さんが、てぐすね引いて待っています。
M君今日ありがとう。僕らは縁あって一緒に稽古できるようになった仲間です。
いつでも気兼ねなく来て下さい。文句を言うとしたら、めったに来てくれなくなったときですよ。
Eさん、夜の稽古は一緒にやっても大丈夫でしょう。
是非三重のSさんも合わせて3人でうちの夜の稽古に参加して下さい。
本当に稽古だけでなく、楽しく過ごせる仲間がいる、そして増えてきたことに感謝しています。
いつまでも楽しくやれるように、皆さんの力を少しかしてもらいながら、、一緒に頑張りましょう!!!
もうだめだ・・・おやすみなさい・
名古屋市緑区、天白区、東郷町、東京都文京区、神奈川県伊勢原市の合気道道場