岐阜城の話に続いて今回は織田信長のちょっとマイナーな話です。
織田信長といえば、戦国の英雄(あるいは梟雄)としてその足跡は誰でも知っています。
が、その破天荒とも劇的ともいえる人生ゆえか、彼が発言した言葉の多くが周囲の人や後世の人につよい印象を与えています。
そんな信長が残した「名言」について。
「是非に及ばず」
本能寺の変において、腹心の部下であった明智光秀が謀反人であったと聞いた信長の言葉。この言葉は言われたとされる時が時だけに真偽は怪しいのですが確かに信長らしい。
言葉の意味はそのまま取ると「是非を論じることもない(いいか悪いかいうまでもない)」という意味ですが、その後に省略されている部分については諸説があります。「すべては自分に非があるのだ」や「乱世の定めだ」「今さら考えたところで結果は変わるまい」などなど。どの説をとっても、客観的な事実を受け止めて信長という大スペクタクルに自ら幕を引いた、合理的な性格表した言葉ではないかと思います。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
一番有名な言葉かもしれません。これは信長が好んで歌い舞った幸若舞の『敦盛』の一節です。敦盛とは平敦盛のことで、平家一の勇とされていました。敦盛についてもたくさんの書籍がありますが、この人の伝奇も面白いです。私は「修羅の刻」で描かれている敦盛像が好きなのですが、この敦盛と源氏方の熊谷直実との一騎打ちを描いた舞曲が『敦盛』です。
この部分は「人間の五十年(生涯)は天に比べたら、夢や幻のように一瞬ではかないものである。この世に生まれ、滅びないものはいない」という意味で、この作品が作られた当時の無常観を強く表しています。信長は、そうした人生の短さ儚さ、この世の移り変わりの激しさに強い共感を得て好んでいたのではないかと思います。短い人生だからこそ、全力で駆け抜け、その結果に動揺しない。そんな信長の人生観を端的に述べたものかもしれません。
「立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」
じつはこれも信長の言葉と言われています。こちらも真偽は不明ですが。名著?「子連れ狼」にも出て来る言葉です。人間に必要な食と住について述べたもので、「人間に必要なスペースは立っている時で半畳、寝ているときでも一畳あれば十分である。そして、生きていくのに必要な糧はどんなに出世しても一食米二合半である。だから、あまり大きな欲を持つな」という戒めの言葉です。畳の広さに関してはわかりやすいですが、「二合半」についてはちょっとわかりにくいかもしれません。まず、二合半がどれくらいの量か、ということがイメージしにくいかもしれません。一合の「ごはん」は一般的な家庭で使われている茶碗で二杯半くらいと考えていただけるとよいと思います。
ということは、二合半は茶碗六杯半・・・
おいおい、一回の食事でそんなに食べられないよ、と思ってしまいます。でも、実は江戸時代の初めごろはそれくらい食べていたのです。江戸時代までは日本人の食生活は「一汁一菜」という言葉が今でも残っているように副食(おかず)が大変質素であったため、米をしっかり食べる、というのが基本的な食生活でした。一菜といっても、野菜の煮付けがついたりする程度なので、ほとんど米と汁の食事になります。「おかず」がほとんどないので、腹を膨らませるためにも米はしっかり食べなければならなかったわけです。とはいえ、三度三度の食事で茶碗六杯も食べることはできません。
実はもう一つ訳があります。日本の食生活は江戸の前期まで一日二食が一般的でした。生活リズムと食事の準備の手間等からも一日二回の食事で済ませたわけです。なので、現在に当てはめてみれば朝ご飯を食べたら、次は夕方まで食事できません。しっかり食べておかなければいけないわけですよね。文献によれば一日の米の摂取量は三~五合だそうです。よく食べる人で一日五合食べたとしても、一回の食事の量は米二合半までだよ、という訳です。このあたりが分かれば「二合半」も納得できるかと思います。さすがに、これが三合半や四号半だと一回の食事が茶碗約九~十杯になって毎食が大食大会になってしまうから無理かと思いますが・・・。
天下を手中に収めようとした信長の言葉とは思えないかもしれませんが、それくらいの割り切りがあったからこそ、天下統一に王手をかけることができたのかもしれません。
合宿も終わり夏のメインイベントは終了。
ということで、まだ決まっていない夏の息抜きを求めてネットサーフィン。
鵜飼なんかもいいかな、と色々検索していたら「岐阜城」のページに。
城マニアとしては、如何ともしがたい性(さが)で当初の目的を忘れてネット漂流者に。
岐阜城は元の名を稲葉山城といい、金華山という山のてっぺんに立っています。
もともとは斎藤一族の居城だったものを織田信長が奪って岐阜城と改名したのですが、織田信長の話はまた別の機会にすることにして、この城はとっても面白いのです。
まずこのお城は戦国時代の居城で、敵から攻めにくいように山のてっぺんに建てられています。
金華山は標高300mくらいなので、山としては登山家には全く魅力のない低い山なのですが、この上に城を建てるのですから天守閣の高さは東京タワー並みということになります。
それがどうした、という人もいるかもしれませんが、東京タワーに階段で上ったことがある人ならわかるはずです。
大変なんだって!
この城を攻め落とそうとしたら、ビルでいえば50階分の階段を登って攻め込まなければならないわけです。城に攻め込む頃には体力は激減。
結局織田軍に攻め落とされてはいますが、大変だったんだろうな、と思います。
この城について私のおススメは「登山競争」
攻め込むのが大変なように作られたこの城には主な登り道として「ロープウェイ」「百曲り」「七曲り」「馬の背」の4ルートがあり、後になるほど登るのが大変になります。
私はこれまで10回以上登っていますが、その中で一番はやっぱり「馬の背」。
百曲りと七曲りは道になっていますが、馬の背は道とは言えない道です。しかも途中に「お年寄りと子供には無理!」という立て看板まで立っている配慮付。
いきなり、両手両足を使わないと登れない山道があり、「これこれ、ここから織田軍は攻めたに違いない」と歴史ファンにはたまらない経験です。
自分一人でタイムアタックも楽しいですが、やはり楽しいのは友人と別ルートで登山競争。
ちなみにどうやっても、ロープウェイには勝てないのですが、他のルート間ではいい勝負になります。
普通城といえば「中や外観を見るもの」ですが、この城は「登る」ことが楽しめるとても珍しくて楽しい城です。
天守閣まで登るとそこには濃尾平野が一望できる絶景が待っています。
こちらも是非晴れの日に行ってみて下さい。
あ、雨や雨上がりには「馬の背」は厳禁です。かつてチャレンジして悲惨な目にあいました。
みなさんも是非一度チャレンジしてみて下さい。
合宿お疲れさまでした。
先生、代理補佐さん、本当にいろいろとありがとうございました。
とりあえず、一番腹を抱えて笑った思い出をアップ。
名古屋至誠館として稽古を初めてからちょうど半年が過ぎました。
一番最初の稽古は大人3人、子ども8人の計11人ではじまりました。
その後Mightyさん、山鉄さんを皮切りにたくさんの大人と子どもが稽古に参加してくれるようになりました。
特に小さな時期から稽古や懇親会に参加してくれている山鉄さんやMightyさんにはとても感謝しています。
先生にもいつもお心にかけていただいて言葉にできません。
最初は大人が一人休むとさびしい雰囲気でしたが、最近はゲストも合わせると大人も毎回5人はいるので、稽古もどんどん充実してきています。
白帯も5人入って、こちらも先々が楽しみです。
またありがたいことにたくさんの方がゲストとして参加してくれます。
これも楽しみであるとともに本当にありがたいかぎりです。
再来週の夏合宿には30人近くの方が参加してくれます。
たった半年にここまできちんと稽古ができるようになるとは夢のようです。
本当にみなさんこれまでありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
まだ稽古日誌かいていないなぁ。
早く書かなければ。
と思いつつも、のほほんとしたことを。
先だっても書きましたが、今年は随分と精神的にゆとりがあります。
昨年の今頃は毎週末がイベントや会議の連続で「休む日」がなかったような気がします。
おかげさまで現在は道場も仲間のみんなの協力で順調です。
というわけで今年は束の間の心の休息を楽しんでいるわけですが。
今日はサツキと朝顔に肥料をあげました。
朝顔は何年か前に知人からもらった苗が実をつけたものを取ってあって、それをまいて育てています。
雑な性格なので、どうしても時期に遅れてしまっているのですが、それでも毎年花を咲かせて実をつけてくれます。
人間は生まれてから死ぬまでの期間が長いのですが、こうした一年草は毎年世代交代を繰り返していきます。
そんな植物と付き合っていると、時の移り変わりというか、時代の変化というか、しみじみと感じてしまいます。
この朝顔をくれた人や私がいなくなっても、毎年代替わりを続けながら朝顔は咲いていくんだろうなとか、毎年咲く朝顔がフレッシュなほど時の移ろいを感じるなとか、ちょっとセンチメンタルになってしまいます。
朝顔がそんな明るいけれどちょっと思惟深げな感じがあるからかもしれません。
うちの朝顔は今年も元気に咲きそうです!
教え子に勧められて少し前からFacebookをやっている、いや作ったのですが。
Facebookからのメールで誕生日のお知らせが来たりします。
今日も誕生日の知り合いがいたので、おめでとうコメントを送りました。
彼のページには私のほかにも30人近くから誕生日を祝うコメントが来ていて、中には面白いものもありました。
いいなぁと思うことはFacebookをやっていると、「気軽に」付き合える人(それを友人と呼ぶかどうかは私には不明)が増えて、誕生日なんかを祝ってもらえる。
やはりどうせ誕生日を迎えるならたくさんの人に祝ってもらいたいですよね。
他にも人生の祝い事にいろいろなメッセージをもらえることは嬉しいですよね。
もちろん、そのためには友達や仲の良い知人は多くなければいけないのですが。
で、そんなコメントを読んでふと思ったのが「個人情報」のことと友達の数のこと。
みなさんちゃんとネチケットはしっかりしているので、一つのコメントで個人情報が特定されることはないのですが、複数のコメントを読んでみると以外にその人のことがガラス張りになってしまう。
いいのかな、という気はします。
また、実際に知っている人と「友達」になるのはいいんですが、友達の少ない人には却ってFacebookやツイッターが寂しいのが、孤独感を強調する結果にはなりはしないかとも思います。昨今、人間疎外や群衆の中の孤独が問題になっていますが、場合によってはそうしたツールが帰って逆効果にはることもあるんじゃないかな、と(めずらしくまじめに)思ったりしました。
中には実際の知人が少ないので、ネット上の知人を探して「友達」を増やす人もいるようですが、それはさらに人間疎外を生んだり孤独感を助長したりするんじゃないかな、と思いました。
もう中年の自分にとって、こうしたツールは便利なのか怖いのかだんだん判断が難しくなってきています。
だけど、使わないとねえ。もう、ラインなんかどうしよう、って感じです。
先ほど帰宅しました。
力尽きる前に本日の報告をと思っているのですが、なぜか変換が上手くいかず、手間取っています。
今日は本当にありがとうございました。
いつものようにとても楽しかったです。
今回初めて参加してくれたH2さんも楽しんでくれたでしょうか。
同じく初参戦のM君はもしかして面食らったでしょうか?
予想通り羽目を外した山鉄さん、帰りは大丈夫だったでしょうか。
立場的にまずくならないように気を付けてください。
丸儲けさんが今日はおとなしかったことが気になります。次回は期待しています。
残念ながら今日は炸裂する姉御を見れませんでした。
Mightyさんはいつも通りろくでなしで、本当に親近感を感じます。
次は稽古で。
副館長代理補佐補助さん、幹事ありがとうございました。
これからもいっしょにちょろちょろしましょう。
H2さん、稽古でまっていますね。
きっと副館長以下同文さんが、てぐすね引いて待っています。
M君今日ありがとう。僕らは縁あって一緒に稽古できるようになった仲間です。
いつでも気兼ねなく来て下さい。文句を言うとしたら、めったに来てくれなくなったときですよ。
Eさん、夜の稽古は一緒にやっても大丈夫でしょう。
是非三重のSさんも合わせて3人でうちの夜の稽古に参加して下さい。
本当に稽古だけでなく、楽しく過ごせる仲間がいる、そして増えてきたことに感謝しています。
いつまでも楽しくやれるように、皆さんの力を少しかしてもらいながら、、一緒に頑張りましょう!!!
もうだめだ・・・おやすみなさい・
表題通り、今日は道場の飲み会です。
別に決まった日にやっているわけではありませんが、結構定例的にやっています。
道場立ち上げから半年ですが、たぶんこれまでに10回以上は飲み会をやっています。
前回の飲み会からは・・・おお! もう20日も経っている!
十分な冷却期間がありましたね。肝臓も大丈夫にちがいないです。
初めは3人の飲み会から始まったのが、今回は10人。
人が増えることも楽しいですし、色々な人と杯を交わしながら合気道談義ができるのは楽しいです。
結局は気の合う仲間と飲みたいだけなのですが、道場の仲間同士そういう場所でコミュニケーションをとるのも普段と違った話ができて素敵なことだと思っています。
道場ではどうしても館長としての立場もあって、砕けた話は・・・しているか。
まあ、でもそれ以上に砕けた話ができる場もどんどんほしいです。
そんな飲み会が定期的にできるようになってきたのも、道場の発展とともに嬉しい限りです。
結局飲んで騒ぎたいだけなんですが。
何はともあれ、今日は楽しくやりましょう!
明日の稽古に響かない程度に。多分。
夏になるとイベントも増えたりして、ついでに余計な(いや大事な)飲み会も増やしたりして、まるで昆虫のように活動が活発になっています。
今日も道場の皆さんと色々やり取りをしていて、本当にありがたいなあ、と思いました。
名古屋至誠館はまだ小さな道場ですが、小さいがゆえに今はとても団結がしっかりしているような気がします。
みんながそれぞれ道場のことを考えていろいろ力を出してくれ、それが大きな力になって道場に勢いがついています。
未熟な私が一人で精一杯頑張っても、たかが知れています。
Norikoさんも、副館長代理補佐代理さんも、山鉄さんも、丸儲けさんも、Mightyさんも
みなさんが未来に向かって力をあわせてくれる(合わせるというよりそれぞれが力を出してそれを互いに調節しあっている、という感じですかね)ことが名古屋至誠館の原動力になっていると確信しています。
また、Eさん始め、道場の外にもサポーター(と思っています)がたくさんいてくれます。
同じ合気道を志す者同士、道場は違っても仲間です。
昔からの仲間もたくさんいます。このつながりは今でもとても役に立っています。本当にありがたいです。
一般論ですが、組織が大きくなるとどうしても今みたいにはいかないかと思います。
もちろん、会社とは違ってこころざしを同じにする仲間なので派閥争いや内部スパイみたいな人はいないわけですが、やっぱり内部の相互調整にエネルギーを使うところもあって、今みたいにはいかなくなるかもしれません。
でも、できる限り今の勢いと和を維持したいですね。
そのためにも、姉御、よろしくお願いします。
先日カウントがたくさんになってうれしい、と言っていたのですが、最近このHPを覗いて下さる方が増えてきたようです。
本当にありがとうございます。
そこで、自分も初めて訪ねてきたつもりになっていろいろ考えてみたのですが、作っている方は思い込みがあるのでさっぱりわかりません。
できるだけこまめに手入れしたりテストしたりしているのですが、トップの画像を替えてなかったり色々「やるべきかやらないべきか」で気になるところもあります。
一応検索も付けていますが、カテゴリが多いとか少ないとかこんな風にしてくれとか、なんでもいいので意見を聞かせてください。
こちらにコメントしていただいても、お問い合わせフォームからでもOKです。
気がついた点がある方、よろしくお願いします。
もうじき子どもは夏休み。
大人の夏休みはお盆あたりになる人が多いのですが。
我が家は子どもの予定がまだ未定のため、夏休みの予定は立たず。
なので、さっさと道場と自分の(大学の合気道部の)合宿の予定だけ入れてしまいました。
道場の合宿はまだまだ詳細を練らなければいけませんが、大学の方は早めに樽酒を注文しなければ。
これを読んでいる関係者の方、7月頭くらいに「注文したか」とリマインドしてもらえると幸いです。
歳をとってきたせいか、合宿とか考える際にも「温泉」の二文字に強力に吸い寄せられてしまいます。
今年は名古屋の都合に合わせてもらったので、来年は東京から近い熱海や箱根なんかもいいかもしれないな、と考えたりします。
東京メンバーは車を持っていない人も多いですし。
でも、熱海なんていったら温泉ばっかりで稽古する気なくなってしまうだろうなぁ。
合宿参加者も30名を超えそうなので、嬉しい限りです。
僕だけでは到底無理なので、道場のみなさん一緒に計画を練ってください。 m(_ _)m
名古屋至誠館の今年の夏合宿の日程と場所が決定しました。
1.日程 7月20日~21日
2.場所 長野県伊那市
3.予定
一日目は午前・午後とも稽古です。
二日目は午前が稽古、午後が全員でレクリエーションです。
今年は「自然の中で体験しよう」がテーマです。
たくさんの体験プログラムが用意されています。
現在30名弱が参加予定です。外部の方でも参加可能ですので、希望される方はお気軽にお問い合わせください。
6月末くらいまでには参加者を確定させたいと考えています。
名古屋至誠館としては今回が初めての合宿ですが、いつも通り私が企画する合宿です。
楽しみにしていてください。
四股はそんなに踏みません。たぶん。
今日は朝起きて、
・庭の朝顔の手入れと
・庭木の剪定
・お中元の手配
をしました。
昨年の今頃は精神的に本当に多忙で、休みも電話やらなんやら、なんだかんだと落ち着きませんでした。
今年は仕事としては、昨年の倍くらい忙しいのですが、精神的にはゆとりがあるような気がします。
朝顔は依然いただいたものの種を取っておいて蒔いたものです。
今年はゆとりがあるので、しっかりとグリーンカーテンになるまで育てたいと思っています。
庭木の剪定は結構大変で、気合を入れないといけないので今年はしっかりできてよかったです。
といってもまだ半分以上残っていますが。
今年はお中元の手配も早めにできて一安心です。
やっぱりいつもお世話になっている人には、感謝の気持ち表したいと思っています。
とはいえ、雑な性格から毎年ぎりぎりになってしまうので、冷や汗の連続です。
そういう意味でも今年はよかったです。
こうした風習を時代遅れとか日本的悪習という人もいますが、やはり文化的にそうした行為にその人に対する心のおきどころが見えたりするような気もします。
と、いっぱしのことを書いたのですが、私自身はフランクなのが好きなのと背中がむずがゆくなるので、うちの道場ではお中元は禁止としています。
とりとめもない話ですが、こんな話を書く気になるのもゆとりのある日曜日だからかもしれません。
そういえば、カテゴリで「雑談」を作ったのはこのネタのときだったような・・・ 違ったかな?
というわけで、遂にカウントが1万を超えました!
サイトの開設が2月の8日で、初投稿が2月23日だったので、えーっと何日だ?
計算が得意な副館長代理補佐殿、お願いします。
ともかく、ここまで長い道のりでした。
もしかすると短い道のりだったのかもしれません。
何にしろ、このホームページを1万回見てもらっているわけですから、ともかく嬉しいですね。
色々なコメントや意見も頂きました。
訪問者やコメントしてくれる人も増えてきました。
皆さん本当にありがとうございました。
せっかくなので、次はもっと早く2万カウントいけないかな、とちょっと欲を出してみたりしています。
1万カウントを踏んだ人のコメントも欲しいですね。
現在HPのシステムについていろいろ改編中です。
ときどき、システムの確認のために投稿テストを送信します。
テスト用なので内容がないものを送信します。
エラーが出ると思いますが、スルーしてください。
さて前回の続きです。
六韜の中には虎韜以外ににも竜韜が存在します。
ということはこれが「龍(竜)の巻」に当たるはずなのですが、なぜか日本では認知されていない。なぜ?
「虎の巻」=「虎韜」については、以前目を通した(本当に目を通した程度ですが)ことがあるので、それが戦い方の技術について書いてある書であることは知っていたのですが、「竜韜」については知らず。
ということで、今回「竜韜」にチャレンジ。
といっても、原文を読む気力は中年オヤジに残っているわけもなく、インターネットと日本語訳という素敵な文明の利器を存分に用いました。
それでも結構ボリュームがありました。
結論。「竜韜」は軍隊の規律や動かし方といったマクロというかちょっと「台所事情」を書いた書です。
王がどのように上手く将軍と軍隊を使うか、ということが書かれています。
これでは一般人受けはないですね。普通に考えて一般人は「使う方」ではなく「使われる方」なので。
もし、「竜の巻」があるとしたら「部下をどうやって使って、自分の成果を上げるか」という管理職向けのビジネス書になってしまいそうです。
ちょっといやらしいかも。
というわけで、「竜の巻」はあるけど、そんないいものじゃあないです、が「竜の巻」についての結論です。
以上の話を「竜韜」の内容とあわせて高校生にしたところ、「・・・(+_+)」という顔をしていました。
こいつ、もしかして「虎の巻」と対をなす「竜の巻」というあまり知られていない極意書があって、それを手に入れれば自分だけ優位に立てると思っていたのではないだろうな。
「虎の巻ってありますよね? 龍の巻はないんですか?」とある高校生。 (゜_゜>)
どうやら、受験用参考書で「虎の巻」とタイトルがつくものを読んでの質問なのですが、久しぶりに質問にこたえられず困りました。
「虎の巻」は中国の兵法書「六韜」に由来することと、鬼一法眼が関係する話が歌舞伎だったか何かにある、ということは知っていたのですが「龍の巻」の存否と内容については知らず。
さっそく好奇心に駆られて調べました。うーん、出てくる出てくる。面白いのでここにもアップします。
まず「六韜」という書物についてですが、成立時期が不詳の兵法書で「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の六巻からなります。それゆえ「六韜」と言います。
このうちの「虎韜」が日本では「虎の巻」として「極意を書いた書物」の意味で使われるようになりました。とまずここまでは件の高校生にも説明しました。
有名な「来則迎、去則送、対則和、五五十、二八十、一九十、以是可和」も「虎韜」の一説だそうです。
この一説については、合気道二代目道主である植芝吉祥丸先生が「合気道技法」という書の中で解説されています。興味のある方は是非お読みください。
なぜ「虎韜」が「虎の巻」と呼ばれるようになったかと「龍韜」が日本に「竜の巻」として存在しているかということと、その内容は何かは知らないので、調べて説明することに。
次に鬼一法眼という人物についてですが、この人物は伝説上の人物で実在したかどうかは不明です。多分していません。鬼一について知っていたのはここまで。
鬼一は京都に住む陰陽師で中国の兵書「六韜」を収め、その極意を源義経に伝えたそうです(歌舞伎などでよく題材にされる「義経記」:義経千本桜など:では義経が鬼一から盗んだとされています)。
この鬼一は後の吉岡流の祖である京八流の祖とも言われているとのこと。これも初耳。ということは鬼一の流派が後に武蔵と闘うのか。マニアにはたまらない繋がりかも。
全く余談ですが、修羅の門の外伝で源義経編にでてくるのが陸奥鬼一なのも、これが出典ですね♪
結局まとめると、「虎の巻」の語源は中国の兵法書「六韜」の「虎韜」。
それが日本では「義経記」等で源義経が手に入れた「虎の巻」と呼ばれるようになって、極意を記した書として現在ではアンチョコ本の意味でよく使われるようになった。
とりあえず高校生はそれで納得してくれました。
で、「龍の巻」はどうなったのか?
ではそれは次回に。
先週来、急激に気温が上昇してきました。
今週は一旦落ち着くようですが、今後どんな風に温度が上がるかわかりません。
統計的にみて今の時期から熱中症が多発します。
みなさん、十分に気をつけて下さい。
というだけでは不十分なので、大人の有段者は以下のサイトを必ず読むようにして下さい。
環境省の熱中症に対するマニュアルです。
興味のある方も是非どうぞ。
http://www.env.go.jp/chemi/heat_stroke/manual.html
特に以下のページについて必読ですので絶対に次回の稽古までに読んでおいてください。
P8-10
P20-30
P34-37
P41-42
P44-47
他に留意しておくべき点、参考にすべき資料等があったら教えてね、山鉄さん。
しっかりした稽古ができるように、十分に気をつけましょう。
道は常に無為にして、而も為さざるは無し。
侯王若もし能(よ)くこれを守らば、万物は将(まさ)に自ずから化せんとする。
欲せずして以って静ならば、天下は将に自ずから定まらん。
老子の有名な言葉です。
無為であることにより、何事も達成できる。
一見すると、なにバカなこと言っとんじゃーっと言われそうですが、、、
実に奥の深い言葉です。凡人にはわかりません。
なにかをやろうとする時、普通はこうであるべきだとか、世の中の基準からすれば
こうしなければダメだとか、誰が決めたのかわからないような価値観を頼りに目標を設定したりします。でも、それってほんとにあなたのやりたいこと??
欲をかかずに心静かに自分の必要な物を純粋な気持ちで求め、淡々と目の前のことをこなしていけば自然と幸福になれます。
でも、そのことを実践するのが凡人には難しいのです!
すぐ、アレが欲しいとかこうしたいという欲求が山のように出てくるでしょう。
そうすると必然的に心も静かでは居ることはできません、結局もとの木阿弥です。
はははっ、実に難しいですね。
でも老子のようにはできなくとも、少しずつ改善していく余地はわれわれ凡人にはありそうですね。
合気道と一緒ですね、少しずつ、淡々と稽古したいですね。^^
以前に書いた私の「宝物」ですが、ずいぶん久しぶりに手にしたせいもあって、最初はほとんど振れませんでした。
そもそも、筋力で振るとすぐに限界が来てしまいます。
まして、当時と比べて30%以上も落ちた筋力では(当社比)。
これを振ると自分の身体が使えているかどうか本当によくわかります。
振り上げる際には自分の軸と正中線からずれたら、いきなり重さが掛かり、振りおろす際には重心の移動と上下に一致させなければ止まりません。
これがなかなか難しくて面白い。
やはり私の宝物です。
ちなみに、この宝物、本来の目的とは違った効能もあります。これを数回振った後に木剣を振るとブンブン振れる。
つまり、重さに慣れて木剣が軽く感じてしますわのです。
でも、これはあくまでおまけで本来の目的ではありませんので、気を付けてください。
最近ようやく五十回振ることができるようになりました。
副館長代理補佐さんも一緒に振りましょう!
名古屋市緑区、天白区、東郷町、東京都文京区、神奈川県伊勢原市の合気道道場