「雑談(合気道に関係のない話)」カテゴリーアーカイブ

稽古さぼってすみません。

昨日金曜日に、私の師とお会いするために上京しました。
そのため今日の稽古はお休みでした。
私の代わりに稽古して下さったMigthyさんありがとうございました。
もうすっかり安心してみなさんに稽古を任せています。

師匠からお祝いを言っていただき、本当にうれしかったです。
また名古屋の仲間が仲良く稽古していることをいつも喜んでくださいます。
これからもみなさん頑張りましょう!

次は2月第三週にいつも参加している大学の合宿に参加させていただくため、また稽古を丸投げします。
担当していただく有段者の方よろしくお願いします。
今日はせっかく東京に出てきたので、たまっていた所用を済ませました。
昨日も今日も痛飲のため、明日は大丈夫か不安ですが江戸川橋の稽古に参加して帰ります。

ありがとうございます

あれ、同じ投稿が二つあって一つは見られないぞ、システム上のエラーか?
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、違います。
内部向けのページです。
ログインしていないと見られません。

名古屋至誠館関係者にはいやな人はいませんが、
外には人の名前を見ただけで怒ったり
人の悪口を言って回るのが好きな人がいるので
名古屋至誠館を支援して下さる方々に迷惑がかからないようにという配慮から一般公開していません。

以上の点をご理解の上、ここでの情報の扱いに注意してください。

1.色々な方からお祝いのメッセージをいただきました。
一修会の中山さんから
皇道館の神谷さんから
氣守道場の藤井先生から
三河合気道研究会の石政先生から
栗林師範から
立場上「お祝い」ではないですが道主と若先生からもお言葉を頂きました
公開していませんが、みなさんありがとうございます。

2.栗林師範の講習会の案内を頂きました
といっても、まだ現物は頂いていないのですが、3月23日に皇道館主催の栗林師範の講習会が開催されます。
栗林師範には当道場は非常~~~にお世話になっております。都合のあう方は可能な限りご参加ください。よろしくお願いします。

3.web用のビデオの撮影をします。
といっても、デジカメで撮るやつで、30秒程度のものです。希望者は名乗り出て下さい。子どもだけでいいかな、と思っています。

4.東京道場が独立します。
1月31日に田中先生ご夫妻と私と武彦で会食します。その際に新しい道場名をいただく予定です。その上で、武彦と近藤が名古屋のメンバーと「呑みに」来ます。
ついでに独立の手続きをして帰るそうです。3月からは新しい道場名になります。多分。
夏合宿の合同開催は予定通りです。

5.新年会について
私がインフルエンザに倒れたせいで後回しになってしまいました。すみません。
また調整し直します。参加希望者で返信のない方はいつならいいよ~、と教えて下さい。

ありがとうございます

みなさま、お祝いの言葉ありがとうございます。
このHPでコメントをいただいた方以外にもたくさんの方からお祝いのコメントをいただきました。
この場を借りてお礼もうしあげます。
合気道をはじめて25年余、途中ほとんど休むこともなく稽古できてきたのは、本当に恵まれていたと思います。

今回の昇段は道主はもちろんのこと、師である田中先生を始めとして、私と一緒に稽古してきてくださったみなさんのおかげだと思っています。昇段してもまだまだ鍛錬しなければならない若輩者です。
今後とも一緒に稽古をしていただけることが何よりも嬉しいです。
よろしくお願いします。

副館長代理補佐さんの書き込みにもありましたが、道場開設から一歩一歩歩んできた道も年が明けて大きな区切りを迎えました。
改めて名古屋至誠館は「みんなの道場」として、みんなで一緒に稽古して、研究して、上達して、昇段できる道場にしていきたいと思っています。
みなさん一緒にがんばりましょう!

追伸:呼称は変えないでください。変えたら返事しなくなるので、ご注意を。

テレビの歴史番組を見て

この週明け13日からインフルエンザで寝込んでいました。
日曜日に父の法事を済ませ、疲れが出たのか一気に高熱が出てノックダウン。
水曜日には熱は引いたのですが、道場の人にインフルエンザをうつしに行くのは論外なので、家で安静に。
現金なもので、元気になると暇を持て余してしまいます。
安静にしながらできることと言ったら読書とテレビ、うーん月並みです。

で、昨日は取り留めもなくテレビをつけていたのですが、その中で気になった番組が一つ。
NHKの歴史秘話ヒストリア
この番組は以前人気のあった「その時歴史は動いた」の後番組なのですが、タイトル通り「無名な人物」にスポットを当てた話が多くマニアックです。
なかなか見ていて面白いので時間がある時はときどき見たりするのですが、昨日のテーマであった「侍女おきく」。
見ていて「ちょっとそれは行きすぎだだろう」と思ってしまいました。
脚色過多というか、「付け加え」が多すぎるのです。知らない人は簡単に信じちゃうよなぁ。
そもそもマニアックだから知らない人が多いだろうし。

この侍女おきくの話はたまたま原文を読んだことがあります。古典で入試などにも出題される有名な「三河物語」の同類で戦乱期のことを描写した作品なのですが、正史でもなく軍記物でもない奥方の女性という「別の視点」から記録されたものとして価値があるとされています。そんな関係でたどり着いて読んだのですが、まあ普通は目にしないでしょうね。原文は「おきく物語」でこれよりもう少し前の「おあむ物語」と同じ頃の版本が残っています。

「おあむ物語」はさておき、「おきく物語」については原文の最初に「田中意徳祖母は。大さかにて。よど殿に。つかへし人にて。名を。きくとぞいひける。」で始まっているように「おきく」が孫である田中意徳に語ったことを医者である孫が記録したものであることが明らかです。そして、おきくは大坂夏の陣(1615年)に20歳、享年83歳(1678年)であったこと、田中家へ嫁いだのが当時としてはかなり晩婚であったこと、孫が記録を残していることから、「おきく物語」の伝承は1600年代後半であることは間違いないとされています。
つまり「おきく物語」は
・おきくが50年以上前の話を語ったものである
・孫が語り聞いたものを記録したものである
・刊行当時はまさに元禄文化最盛期で「庶民の苦労」を記した本がもてはやされた
・歴史的に、常識的に考えて矛盾点がいくつも指摘されている
という問題をそもそもはらんでいます。

仮に記録としては正しく記録されたものだとしても、原文を読んでいただければわかるのですが、番組の中に出てくるおきくのコメントなど一切原文には存在しません。そば焼きや金の竹流しなどはまさにそのまま書かれているのですが、おきくの感想や評価は一切存在しない。きっと田中意徳が敢えてそういった主観的なものを排除した形で記録したのでしょう。同番組では最後にまとめのような形で主人公の言葉を紹介しますが、今回の話では「おきく物語」にはそのような述懐は全く存在しません。これが淀君など著名な人物であれば、多くの人によってたくさんの記録が残されているでしょうから、どこかにそんな記録もあったのかもと思うのですが、何と言っても存在する原典は1つのみ(何せ自伝)なので他にも記録があったということはありえないでしょう。もしかすると、その後に成立した海賊版や解釈本でそうした評価がなされたのかもしれませんが、どちらにしろ「おきくの言葉」でないことには違いないでしょう。

まあ、時代劇と同じ目線で見ている人にすれば面白ければいいんでしょうけれど。私はNHKにそこそこ信頼をおいてしまう古いタイプの人間なので、ちょっと気になってしまいました。
これからNHKの番組見てもうのみにできないじゃん。頼むよNHK。

2013年も終わり

コメントにしようかとも思いましたが、
長くなりそうなので投稿記事にすることにしました(^^;

今日で今年も終わりです。
この一年は必死で過ぎていったような気がします。

道場の名前も決まっていない中での稽古開始では、
稽古できる喜びを感じました。
初めの頃は戸惑ってばかりで、
副館長代理補佐さんも書いていたように
転換についてだけでも、何度「こう?」「こう?」と悩んでやり取りしたことか。

目指す方向を定めて、そこに向かって進んで行こうと思ったものの、
でも、何をしてよくて何をしたらよくないのか
それが分からず迷って悩んでもいました。

稽古だけでなく気持ちの上でも落ち着かなかったり
心配なこともありました。

でも、いつのまにか心配事も解決の方向に向かい、
人数も増えて広かった道場も賑やかになり
イベントもたくさん出来て、
子ども達が喜んで稽古に来てくれる環境になりました。

そして、この一年のいろんなことを、そうだったね~と思い出せるほどになった今が、
本当にありがたいです。

これも、支えてくださったたくさんの方のおかげです。
いつも稽古を優しく厳しく見てくださるお母さんお父さん方、
時間の都合をつけて稽古にゲスト参加してくださる方、
あちこちからご指導・稽古に来てくださる大学OBの方、
ありがとうございます。

いつも悶々としているわたしを笑いながら受け入れ一緒に稽古してくれる道場のみなさん、
ありがとうございます。

そして、副館長代理補佐さん。
いつもいつもありがとうございます。

先生。
本当にありがとうございます。
もちろん、田中先生には感謝してもしきれません。

来年も皆さまどうぞよろしくお願いいたします。
きっとまだまだ悶々として眉間にしわを寄せているのでしょうが(笑)
わたしなりに頑張っていきたいと思います。

では皆さま、よいお年を(^▽^)/

・・・・・よかった、年越しに間に合った~(笑)

カウントが!05

今年の2月の後半に始めたこのホームページですが、たくさんの皆さんからアクセスいただき、年内5万カウントを達成することができました。
実はサーバー障害でバックアップが復旧できず、1月分約8000カウントが失われているのですが、それはそれとして、たくさんの方に愛されての5万カウントだと思います。
みなさんありがとうございました。

ちなみに私が仕事で作っている「とりあえずHP」のカウントは同じ期間で1800。
涙が出るほど少ないです。
更新頻度も低いからなんですが。

結構、いろいろな方のいろいろな書き込みに隠れファンがついています。
「え、こんな記事に」というものにたくさんのアクセスがあったりもします。
そしてHPをみて体験に来てくれる人もたくさんいました。

会員の方は誰でも書き込みできるようになっています。
書き込みの仕方が分からない人は私まで問い合わせて下さい。
あと数時間で来る新しい年もたくさんの人が交流するサイトであるといいですね。

ブログに関する連絡

館長の平岩です。

ブログの投稿権限について更新しました。
リアクションHさんには承認なしのユーザー権限に変更しました。
Y君も投稿者に加えました。

すみません、Eさん。
これまで投稿権限を与えていませんでした。すっかり、渡した気でいました。m(_ _)m
ちゃんと確認のメールは届いていますか?

他に「おれにも投稿させろ!」という方はお問い合わせフォームか私に直接メールをください。

追悼 ネルソンマンデラ大統領

こういうネタでブログを書くのはとても珍しいのですが。
アーサーキング牧師と並んで黒人解放運動の世界的指導者であるネルソンマンデラ大統領が亡くなりました。

今からもう25年近く前ですが、高校生になったばかりの私は初めてアパルトヘイトという言葉に触れました。
小学生の頃にテレビで「ルーツ」という黒人の物語を見て、「昔はこんな奴隷制度があったんだ」と結構強い衝撃を受けました。
とはいえ、子ども心にそうした奴隷制度や差別は「過去の時代の遺物」と思っていました。
ところがアパルトヘイトは1980年代の問題であり、私が高校生になった頃、すでに科学文明の躍進期でもあり、グローバリゼーションの黎明期でもある現代にまだそんな差別が存在していることは世間知らずの学生にとっては驚愕でした。

多感な高校生にもれず、アパルトヘイトの関連書籍を読み漁り、学校祭でもそれをテーマにしました。
その中で常に象徴的存在として獄中で運動を指導していたのがマンデラ大統領でした。
キング牧師は私にとって過去の「歴史」でしたが、マンデラ大統領の活動は「現代」でした。
(当時は黒人指導者または活動家ネルソン・マンデラ氏と書かれていました)

彼とそれを支える人々の努力が、その後の南アフリカの黒人解放につながり、ついには彼を同国初の黒人大統領にしたのですが、興味のある方は「歴史」として本を読んでみたりするのもおもしろいかもしれません。あくまで興味があれば、です。

マンデラ大統領が目指した差別のない世界、力を持った者が弱いものをしいたげることがない世界が実現することを祈ることで、彼の死に哀悼の意を捧げたいと思います。

徳島に来ました! その1

例のごとく稽古を丸投げして、徳島にやって来ました。(  ̄▽ ̄)
今回は合気道と全く関係ないイベントに参加しに。
今回参加するのは、晋山式という行事。
新しい住職が就任する際の儀式です。
今回参加させて頂くのは、四国最古の禅寺の晋山式です。
高知空港から車で3時間。よくもこんな何も無いところに1200年以上も前に開山 したなぁと感心してしまいます。
晋山式の話は次回にして、今日高知で感じたのは、どこからどこまでも坂本龍馬一色ってことぜよ。あ、( ̄□ ̄;) 。
いや、高知ってもっと沢山有名人いるじゃん。長宗我部元親とか、やなせたかしとか。
ちょっと商業色がつよすぎて、食傷気味になりました。まっことやり過ぎっぜよ。あ、!Σ( ̄□ ̄;)。

11/9副館長代理補佐BBQ

BBQ当日です。朝起きて外の確認。
「うん。大丈夫。雨も降りそうもないし、暖かい。」
今回借りたサイトは広いし、しかも二箇所で広さ十分。準備万端。
誰の心がけがよかったのでしょ?この三日間とても陽気がいいです。
(大人は心がけが良くないから、やっぱり子供たち?)

今回のBBQは市外だから少し不便だったかな?みなさん車での移動となりました。
運転手の皆さんすいません。今回は我慢してくださいね。次回の忘年会は送迎バスが用意してありますので、皆さん飲めますよ。(^◇^)

13時ギリギリに到着。もう何人かが到着して荷物を運びこんでいました。本当に保護者の方達も協力的で助かりました。こういった行事は一人でがんばってもとても無理です。
実は初めての試みだったのでとても不安でBBQ場の下見を二回もしてしまい、公園も何周かしたのでとても健康になりました。σ(^_^;)

image

何回も下見をしたサイトなのに実際にタープやテーブルを並べてみると予想以上に広い!
今回の参加者は総勢38名!タープ三張、テーブル6台、焼き台3台、まき台1台、七輪2個。椅子は・・・20脚以上?テーブルに付随しているのも入れるともっとかな?それでも全員が入って食べることが出来るくらいです。サイトは一カ所でもよかったかな?あ!泥団子作りをするんだった!サイトは二カ所必要ですね。

さてと、お母さん方も集まってきたので皆さんに買い物をお願いしました。
メニューは全てお任せ。主婦の皆さんお願いします。( ^_^)/~~~

A君のお父さんが火おこしを一人で頑張って頂けたので少し時間が出来ました。
ありがとうございます。m(_ _)m
よし!子供たち「光る泥だんご作り」だ!
こういう時は子供達の性格がよくわかりますね。みんな頑張れ!
一個15分から30分かな?根気のある子はよく光りますね。
開始から10分出来上がりはこんな感じです。磨けばもっともっと輝きますよ。

image

あら!一人だんごを取られた!

だんご作りが終わった子供達から遊びに行って、やっぱり鬼ごっこ。
あれ!鬼の体格がやけに大きい?あ〜先生が鬼だ!
・・・て、先生飲んでましたよね?そんなに走って大丈夫?( ̄▽ ̄)
案の定、釜小屋の横でダウン。囧rz
先生!吐かないようにね。
普段だと直ぐに捕まっちゃうけど、今日の先生は逃げ切れるから子供達も楽しそう。でも、今度の稽古大丈夫かな?先生に捕まらないようにね(^_−)−☆

さて、だんご作りも終わったし、肉でも食べようかな〜と思ったら、先生、Noriさん、Mightyさん、Hさんの四人で秘密会議!
ちょ、ちょ、ちょっと〜私のいないところで秘密会議はなしですよ〜o(`ω´ )o

Y君と奥さんも光る泥だんご作りをして楽しんでました。二人とも気さくで子供達とも楽しそうに遊んでくれます。奥さんはお母さん方と話ができたかな?

今回は忙しくて大人の方は全然見れなかったけど、皆ちゃんと飲んでいたかな?と心配して見に行ったら、Mightyさんは焚き火にあたりながら寝てるし・・・(= ̄ ρ ̄=) ..zzZZ

とにかく、あっという間、楽しい時間は早く過ぎますね。来年はもう少し時期を早くして、午前中から始めようかな?ちょっと汗ばむくらいの方がビールが美味しいですよね〜
♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

後片付けも手際良く、ゴミも分担して持っていってもらいました。ありがとうございます。
m(_ _)m

帰りの道中、今日一日の事を振り返りながら、皆そろそろ家に着いたかな?と妻と話していて気がつきました。

・・・我が家が一番遠い!(;゜0゜)

忘年会もよろしくお願いします。
m(_ _)m

カウントが! 04

やはり定例行事はきちんと踏まなければ、ということで
カウントが30000を超えました
皆様ありがとうございます。 副館長代理補佐さん、今回はキリ番ゲットできました?

合気道のネタあり、どうでもいいネタありと「楽しければよし」のコンセプトで綴って来たHPですが、皆さんの参加を得て順調にアクセス数を増やしています。
新たに参加してくれるようになった無礼者さんやスキンさんにも感謝です。
無礼者さんの無礼っぷりも楽しみにしています。
私より理論的なスキンさんの合気道談義も楽しみにしています。

ところで、山鉄さんや丸儲けさんはどうしているのかな。
と振ってみたりして。

みなさん、これからもよろしくお願いします!!!

OB稽古in名古屋02

土曜日に行った大学のOB稽古について、あんまり嬉しいので、続編を。

OB稽古を行って2日、たくさんの方から感想をいただきました。
嬉しかったのは、みなさん今回のイベントに積極的で、是非またやろうという意見がほとんどだったことです。
次も頑張って企画しようというモチベーションにつながります。本当にうれしいです。

また、名古屋で他の道場で稽古している後輩が参加してくれたこともとても嬉しかったです。道場の稽古やほかの用事に優先してOB稽古に参加してくれたことは、呼びかけをした立場としてはとても嬉しかったですし、大学の繋がりの強さを感じました。

さらに今はなかなか稽古する機会のないOBがうちの道場の稽古や合宿に来てくれると言ってくれたこともとても嬉しかったです。同門の仲間が来てくれて、うちの門人とも交流してくれることは合気道の稽古においても人の輪においてもこの上ない幸せです。

さらにさらに、今回の稽古にからめて、M君や武がわざわざ午前の名古屋至誠館の稽古に参加してくれたこともとても嬉しかったです。これも門人一同感謝しています。OB稽古は午後だったので、午前に東京や滋賀を出れば余裕なのにわざわざ前倒しで名古屋に来て午前の稽古に参加してくれました。本当にありがたいとともに、仲間の大切さを感じました。

そんなこんなで、終わった後も満足とありがたさを感じさせてくれる稽古に感謝するとともに、次も必ずやるぞ、と強く感じました。
それが言いたかったです。

愛知県合気道連盟講習会について

丸投げ館長です。
連絡事項をいくつか

1.今週水曜日よろしくお願いします。休みます。

2.県連講習会について
 出欠の連絡がまだの方はできるだけ早めにNoriさんまで返事をしてください。
 もちろん私は参加です。
 いろんな人と稽古したいので。もちろん、懇親会も。

ゲリラ豪雨を考える02

問題はどうして「局地的」になるかです。
1.上空にある冷たい空気
ですが、上空(雲ができるくらい上空)は大きな空がつながっています。言い方を変えれば一つの大きな空があるわけです。
また、
3.南から入ってくる湿った空気
とありますが、これも我が家の周りだけ湿った空気が入ってきて、隣町には湿った空気は入ってこない、ということもあまり考えられません。

言いかえれば、1と3の条件は「名古屋全域に雨が降る」条件ではあっても、「局地的に雨が降る」条件ではないと考えられます。
とするとゲリラ豪雨の一番の条件は2の地面近くの温度が高い、ということです。

これをイメージするには焚き火をイメージしてもらえばよいと思います。焚き火をするとその上の部分だけ非常に熱くなります。しかし焚き火から数m離れるとほとんど熱さを感じなくなります。そして、焚き火の上に薄い紙などを投げると上昇気流で紙は上の方に上っていきます。
つまり、地面近くの熱については非常に局地的に存在させることができて、しかも局地的な上昇気流を発生させることが可能です。
要するに、局地的な熱源さえあれば局地的な豪雨は振るのです。

そうすると次に問題になるのは、どうしたら「局地的な熱源」が発生するかです。
その原因と考えられるのがヒートアイランド現象です。車やエアコンの室外機など自然界に存在しない熱源が一か所にあつまると、局地的な熱が生じます。こうした熱源は、住宅の集中や交通網の分岐点など都市の構造によって、ある一点に集中的に発生します。例えば構想マンションが立ち並んでいる場所などがそうした場所です。つまりヒートアイランド現象によって局地的な熱源が生じることが、ゲリラ豪雨の原因であるのではないかと考えられます。

とすると、局地的豪雨が降るのは大都市の証、ということになるのかな?
「おまえんちいいなあ、ゲリラ豪雨が降るくらい都会で、うちなんか普通の雨しか降らない田舎だもんな」
「わたしさぁ、昨日ゲリラ豪雨でずぶぬれになっちゃって。都会だからしょうがないよね」
豪雨の被害は深刻だから、ない方がいいのですが・・・

ゲリラ豪雨を考える01

昨日9月4日、名古屋地方は市内全域で局地的な豪雨でした。
市内全域で局地的というと日本語がおかしいですが、意味としては非常に限定された地域に雨が集中的に降る現象が、名古屋市全域で起こったということです。私の家の近くでは、一時的に強く雨が降ったものの危険を感じるほどではなかったですが、家から数百メートル離れたところでは道路が川のようになって大変な状態だったようです。
つまり、「うちのまわりだけ集中豪雨」という状況が名古屋中で起こっているというわけです。

このゲリラ豪雨(局地的な豪雨)はどうして起こるのでしょうか。
ゲリラ豪雨が起こる原因は
1.上空に冷たい空気がある
2.地面近くに暖かい空気がある
3.南から湿った空気が流れ込んでくる
であると一般的に言われています。

その具体的なメカニズムは簡単に言えば下が暖かく上が冷たい状態になることで上昇気流が起こり、その上昇気流で湿った空気が上空に持ち上げられ雨雲ができて雨が振るのです。

こんな説明を聞いていると一見「なるほど」と思ってしまいますが、上記の条件だけでは雨が降ることは説明できても「局地的に降る」ことは説明できません。
<続く>

カウントが! その3

多分その3です。
なんと、HP開設半年でカウントが2万超えました。ありがとうございます!
HPに訪問して下さる方が増えるにつれて、道場を訪れてくれる方も増えました。
本当にうれしい限りです。ありがとうございます。

名古屋至誠館はこれからも、「いつでも気楽に稽古に来られる道場」目指して頑張ります。

HPを訪れてくださったみなさん。
稽古でも、見学でも、体験でも、いつでも気楽に稽古に参加して下さいね!

FaceBookでとてもうれしいことが

Facebookはやっているものの、時たましか開きません。
で、今日たまたま開いてみたらすごくびっくり\(◎o◎)/!しました。
今から20年近く前に、東京の予備校(塾)で講師をやっていたのですが、その時の教え子がFacebookで私を見つけて連絡をくれました。
私のプロフィールから当時の経歴を引っ張り出すのはほぼ不可能なはずで、本当に驚きました。
以前Facebookのことを疑問視するコメントを書きましたが、今日のはとても嬉しい驚きでした。

それにしても、20年たっても私を覚えていてくれた彼女に本当に感謝です。
人の縁は不思議ですね。