この週明け13日からインフルエンザで寝込んでいました。
日曜日に父の法事を済ませ、疲れが出たのか一気に高熱が出てノックダウン。
水曜日には熱は引いたのですが、道場の人にインフルエンザをうつしに行くのは論外なので、家で安静に。
現金なもので、元気になると暇を持て余してしまいます。
安静にしながらできることと言ったら読書とテレビ、うーん月並みです。
で、昨日は取り留めもなくテレビをつけていたのですが、その中で気になった番組が一つ。
NHKの歴史秘話ヒストリア
この番組は以前人気のあった「その時歴史は動いた」の後番組なのですが、タイトル通り「無名な人物」にスポットを当てた話が多くマニアックです。
なかなか見ていて面白いので時間がある時はときどき見たりするのですが、昨日のテーマであった「侍女おきく」。
見ていて「ちょっとそれは行きすぎだだろう」と思ってしまいました。
脚色過多というか、「付け加え」が多すぎるのです。知らない人は簡単に信じちゃうよなぁ。
そもそもマニアックだから知らない人が多いだろうし。
この侍女おきくの話はたまたま原文を読んだことがあります。古典で入試などにも出題される有名な「三河物語」の同類で戦乱期のことを描写した作品なのですが、正史でもなく軍記物でもない奥方の女性という「別の視点」から記録されたものとして価値があるとされています。そんな関係でたどり着いて読んだのですが、まあ普通は目にしないでしょうね。原文は「おきく物語」でこれよりもう少し前の「おあむ物語」と同じ頃の版本が残っています。
「おあむ物語」はさておき、「おきく物語」については原文の最初に「田中意徳祖母は。大さかにて。よど殿に。つかへし人にて。名を。きくとぞいひける。」で始まっているように「おきく」が孫である田中意徳に語ったことを医者である孫が記録したものであることが明らかです。そして、おきくは大坂夏の陣(1615年)に20歳、享年83歳(1678年)であったこと、田中家へ嫁いだのが当時としてはかなり晩婚であったこと、孫が記録を残していることから、「おきく物語」の伝承は1600年代後半であることは間違いないとされています。
つまり「おきく物語」は
・おきくが50年以上前の話を語ったものである
・孫が語り聞いたものを記録したものである
・刊行当時はまさに元禄文化最盛期で「庶民の苦労」を記した本がもてはやされた
・歴史的に、常識的に考えて矛盾点がいくつも指摘されている
という問題をそもそもはらんでいます。
仮に記録としては正しく記録されたものだとしても、原文を読んでいただければわかるのですが、番組の中に出てくるおきくのコメントなど一切原文には存在しません。そば焼きや金の竹流しなどはまさにそのまま書かれているのですが、おきくの感想や評価は一切存在しない。きっと田中意徳が敢えてそういった主観的なものを排除した形で記録したのでしょう。同番組では最後にまとめのような形で主人公の言葉を紹介しますが、今回の話では「おきく物語」にはそのような述懐は全く存在しません。これが淀君など著名な人物であれば、多くの人によってたくさんの記録が残されているでしょうから、どこかにそんな記録もあったのかもと思うのですが、何と言っても存在する原典は1つのみ(何せ自伝)なので他にも記録があったということはありえないでしょう。もしかすると、その後に成立した海賊版や解釈本でそうした評価がなされたのかもしれませんが、どちらにしろ「おきくの言葉」でないことには違いないでしょう。
まあ、時代劇と同じ目線で見ている人にすれば面白ければいいんでしょうけれど。私はNHKにそこそこ信頼をおいてしまう古いタイプの人間なので、ちょっと気になってしまいました。
これからNHKの番組見てもうのみにできないじゃん。頼むよNHK。