「虎の巻ってありますよね? 龍の巻はないんですか?」とある高校生。 (゜_゜>)
どうやら、受験用参考書で「虎の巻」とタイトルがつくものを読んでの質問なのですが、久しぶりに質問にこたえられず困りました。
「虎の巻」は中国の兵法書「六韜」に由来することと、鬼一法眼が関係する話が歌舞伎だったか何かにある、ということは知っていたのですが「龍の巻」の存否と内容については知らず。
さっそく好奇心に駆られて調べました。うーん、出てくる出てくる。面白いのでここにもアップします。
まず「六韜」という書物についてですが、成立時期が不詳の兵法書で「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の六巻からなります。それゆえ「六韜」と言います。
このうちの「虎韜」が日本では「虎の巻」として「極意を書いた書物」の意味で使われるようになりました。とまずここまでは件の高校生にも説明しました。
有名な「来則迎、去則送、対則和、五五十、二八十、一九十、以是可和」も「虎韜」の一説だそうです。
この一説については、合気道二代目道主である植芝吉祥丸先生が「合気道技法」という書の中で解説されています。興味のある方は是非お読みください。
なぜ「虎韜」が「虎の巻」と呼ばれるようになったかと「龍韜」が日本に「竜の巻」として存在しているかということと、その内容は何かは知らないので、調べて説明することに。
次に鬼一法眼という人物についてですが、この人物は伝説上の人物で実在したかどうかは不明です。多分していません。鬼一について知っていたのはここまで。
鬼一は京都に住む陰陽師で中国の兵書「六韜」を収め、その極意を源義経に伝えたそうです(歌舞伎などでよく題材にされる「義経記」:義経千本桜など:では義経が鬼一から盗んだとされています)。
この鬼一は後の吉岡流の祖である京八流の祖とも言われているとのこと。これも初耳。ということは鬼一の流派が後に武蔵と闘うのか。マニアにはたまらない繋がりかも。
全く余談ですが、修羅の門の外伝で源義経編にでてくるのが陸奥鬼一なのも、これが出典ですね♪
結局まとめると、「虎の巻」の語源は中国の兵法書「六韜」の「虎韜」。
それが日本では「義経記」等で源義経が手に入れた「虎の巻」と呼ばれるようになって、極意を記した書として現在ではアンチョコ本の意味でよく使われるようになった。
とりあえず高校生はそれで納得してくれました。
で、「龍の巻」はどうなったのか?
ではそれは次回に。