「雑談(合気道に関係のない話)」カテゴリーアーカイブ

投稿についてのお知らせ

このHPについてのルール? を少し説明します。
以下細かく書いてありますが、あんまり気にせず適当な場所に適当に投稿してください。
投稿されない方がさみしいので。

1.投稿について
このHPに投稿できる人は、投稿する権限のある人です。
関係者で投稿できません、という人は私まで連絡下さい。

2.コメントについて
投稿に対するコメントは誰でも可能です。どんどんコメントしてください。
ただ、宣伝やDMなど不要なコメントもあったりするので、コメントを書いても確認されるまでは掲載されません。
例外として、投稿することができる人のコメントは即時掲載されます。

3.投稿のカテゴリーについて
(1)子どもと合気道
道場の子どものことや子どもの稽古のこと、子どもについて合気道他武道に関わることなど、自分の思うことをどんどん書いて下さい。
子どもについてこんなことを思うんだけれど・・・という内容を投稿する場所です。
(2)武道についての雑感
これが一番メインかなと思います。合気道はじめ武道全般について思うことを何でも書いて下さい。
自分にとっての武道や、いつも稽古していてこんなことを思っているというつぶやき程度のことから
いやいや、俺の武道観を聞いてくれ、という重みのあるものまで、
本当にささいなことでも構いません。稽古のストレスをためないために使ってもらって構いません。
ともかく合気道や武道について何でもおもったことを投稿する場所です。
(3)稽古日誌
稽古を行なった後に感想や希望などを述べる場所です。(2)との違いは実際に行った稽古に関する投稿である、という点です。
「稽古記録」ではないので何をやったとかを書く必要はありません。どちらかというと稽古を終えての心の中が書かれているといいですよね。
(4)身体についての考察
趣味の項目です。私の好みで書いているだけです。でも、書き込みは大歓迎です。別に難しく書く必要も難しい内容である必要もありません。難しく書くのが趣味なのは私と山鉄さんだけなので、それ以外の人は「(3)の技術バージョン」とでも思ってもらえれば十分です。技術的なことについて書く場所です。
(5)雑談
(1)~(4)以外の内容はどうしよう、と思って作りました。後から作られたとってつけたようなカテゴリーです。最もなんでも書いてもらって構わない場所です。
でも、その方が却って書きづらいかな?

何よりも「気軽にいろいろ」投稿してもらうことが一番の目的です。失敗したら削除可能なので、気楽に投稿してみて下さい。

八十八夜

昨日の稽古では子どもにちまきと柏餅をプレゼントしました。
たくさん食べて大きくなってください。
大人はたくさん食べると横に大きくなってしまうので。

さて、五月二日は八十八夜。最近の子どもはあんまりしらないと思いますが、有名な唱歌で「夏も近づくはーちじゅうはーちやー」という「茶摘み」の歌があります。
八十八夜というとお七夜とかと同じで88番目の夜、ということになります。中学生の時は元旦から数えて88番目は三月なのになぜ五月に八十八夜なんだ、と思っていました。それは単に陰暦を知らなかっただけで、八十八夜は旧暦の元旦すなわち現在の立春から数えて八十八日目のことを言います。
この時期までは気候の変更が多く、霜が降りることも多かったため、農作物を作る作業に注意する必要があったことから、まず暖かくなって大丈夫な日を八十八夜という節目の日として定めたのです。
簡単に言えば、この日になればもう夜になっても霜を心配する必要がないくらい暖かくなったよ、というわけですね。

八十八夜は季節を表す節目の日ですが、中国から伝わってきた二十四節季と違って、日本のオリジナルの日で土用などとともに「雑節」とも言われるそうです(調べました)。

夜もそこまで冷えないから子どもがおなかを出して寝ても大丈夫な季節、と考えられるかもしれません。
もう夜も冷えないから身体の堅い大人も安心して稽古できるぞ、という節目かもしれません。
八十八夜が過ぎると新茶の季節で間もなく立夏です。
夏は稽古に最適な季節。頑張ってたくさん稽古しましょう。

宝物です!

今日、外出から家に戻ってくると、すばらしい贈り物が届いていました。
他人が見ると「なんだこの汚い棒は」と思うものですが、私にとっては宝物です。

私が学生時代から社会人にかけて東京にいた計15年間くらいの間、使わせていただいていた素振り棒です。
私が敬愛する大先輩の持ち物でした。
その先輩が昨年亡くなられて、その形見として奥様よりいただきました。
生前先輩がお会いした際に、合気道を続けている私にこの棒を「やるよ」と言ってくださいました。
できれば、お元気なうちにもう一度お会いしたかったのですが、残念です。

私にとっては学生時代の思い出ともいえる宝物で、再び巡り合えたことに感謝するとともに、これを使って頑張って稽古しようとあらためて思いました。
あんまり嬉しかったので、写真付きのブログです。

tetsu

早く元気になってください。

今日、道場の仲間から連絡がありました。
体調がすぐれずしばらく稽古を休んでいるのですが、元気そうな声を聴いて安心しました。
もちろん一日も早く稽古に復帰してほしいのですが、何よりも第一なの元気な声を聴かせてもらうことです。
余計な負担をかけることは論外だと思っています。

いつまでも待っているので、ゆっくり元気になってください。
でも、顔を忘れないように、時々遊びに来てね。

昔の仲間から時々連絡があります。
とても嬉しいことです。中には変に気を使ってしまう人もいるのですが、気軽に連絡をくれればいいのに、と思っています。
仲間っていいですよね。

ちまきと柏餅(子どもの日)

もうすぐ子どもの日。端午はもともと五節句の一つ(人日、上巳、端午、七夕、重陽)の一つですが、最近では節句の行事をやる家庭も少なくなってきたので「子どもの日」という方が一般的かもしれません。 私が以前いた道場では、館長の発案で子どもたちの健全な成長を願って柏餅粽(ちまき)をプレゼントしていました。私もこの行事は好きで、うちの道場でもやりたいな、と思っています。

で、今回は粽と柏餅のお話。子どもの日の定番の粽と柏餅ですが、実は本来セットの食べ物ではありません。

柏餅に使う柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちません。そのため「古い葉(親)」と「新しい葉(子)」が途切れない、すなわち「家系が途絶えない」「子孫繁栄」と縁起をかけた食べ物です。ただ、「子孫繁栄」が端午の節句とどのような関係があるかははっきりしていません。たぶん柏の新葉の取れる時期なので、この頃食べるようになったのかと思います。文献に端午の節句の風物として柏餅が登場するようになるのは江戸時代なので、実は結構新しい食べ物です。

一方のは中国の故事に由来する食べ物です。今から二千年前の中国の楚という国の政治家の屈原という人が、祖国の未来を嘆いて川で入水自殺します。屈原は詩人としても非常に有名で、その代表作「楚辞」は歴史の授業でも必ず出てきます。屈原が自殺したのが、端午の節句(五月五日)だったので、この日に食べられるようになりました。 愛国者である屈原を弔う目的で、魚が川に沈んだ屈原の身体をつつかないよう、端午の節句の日(端午節)にササの葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのが起源とされています。 この故事には次のような別の伝説もあります。屈原の死後何百年か後の漢の時代に、川のほとりに屈原の幽霊が現れます。屈原の幽霊は、里の者が毎年お供えを捧げてくれるのはうれしいが、自分のところに届く前に蛟龍という悪龍に盗まれてしまうので、蛟龍が苦手にしている葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい、と言います。屈原の言うとおりにしたものが現在の粽の起こりである。

どちらの伝説が正しいにしろ、粽は二千年以上前から食べられていることは間違いなく、二つの食べ物間はまったく違うものだということがわかります。

とはいえ、どちらも季節に関係あるだけであんまり「子ども」と関係ない気もしますが・・・。まあ、おいしいし、子どもの喜ぶからいいですね。

書籍のおススメ

今日はちょっと毛色を変えて書籍のおススメです。
ある人についての書籍なんですが。

知っている人しか知らない、ある意味かなりマイナー、でもとてもメジャーな人についての本です。
歴史上の人物で、まず中学校の日本史ではやらない。
高校の日本史では出てくるけれど、詳しくはやらない。
ドラマではまず主人公にならない。
でも、幕末の歴史はこの人なしではありえない。
そんな人です。
私の好きな人の一人です。
この人を好きな人はマイナーだと思いますが。

その人の名前は山岡鉄舟。
大政奉還の最大の功労者です。
文字通り質実剛健を地で生きた人です。

書籍として出ているものに
・山岡鉄舟 南條範夫 文春文庫
・山岡鉄舟 小島英煕 日本経済新聞社
・山岡鉄舟 大森曹玄 春秋社
がありますが、一番上が読み物としては簡単でおもしろいと思います。

宜しければ、是非どうぞ。

くしゃみをすると・・・

花粉症の季節真っ盛りのせいかもしれませんが、よくくしゃみをしている人を見かけます。
私は花粉症ではないのですが(多分)、最近くしゃみをした時に知り合いに「Bless you」と言われ「おお~」と思いました。
英語圏文化の人々が周囲にいた際にはよくくしゃみすると「Bless you」と言われたのですが、最近では随分耳にしていなかったのでちょっと新鮮でした。
この「Bless you」または「God Bless you」はわりに定着した習慣らしく、くしゃみした瞬間に複数の人から言われることもあります。
そんなに深刻な意味ではないのですが、起源が諸説ある中でよく耳にするのは「くしゃみをした際に口に魔物など悪いものが入ってくるので、祝福の言葉でそれを守る」らしいです。
くしゃみした人に声をかけるというのはあまり日本では見かけない習慣ですよね。

日本ではくしゃみした際には、自分で「くさめ」などという習慣がありました。
これも諸説あるのですが、くしゃみをすると魂が抜け出てしまうとか、くしゃみが出るのは(風邪など)身体の中に病魔がいるなど、よくない状態にあるので呪詛の言葉を用いてそれを防ぐのです。
平たく言えば、自分の身体の中で悪さをしている魔物に

呪いの言葉を吐きかけるのです。その言葉が「くさめ」でそれが変化して行為自体が「くしゃみ」と言われるようになりました。
という訳で、時々くしゃみをしたあとに「こん畜生!」と言っているオヤジを見かけることもありますが、あれは日本文化的には下品なわけではなく正道なのです。思いっきり魔に対して呪っていますから。

それにしても、くしゃみについて和洋ともに魔物から言葉で身を守る習慣があるのは同じでも、それを他人が言うか自分が言うかは随分違っていると思います。
そのあたりに文化的な違いがあるのかもしれません。
いつか調べてみたいと思っています。

花粉症で苦しんでいる方は、是非呪詛してみてはいかがでしょうか。
稽古してもくしゃみは防げないからねぇ。

 

ちょっとへこんでいるので

とりとめがない話でしかも抽象的なので、最初に謝っておきます。すみません。
とても悲しいことがあり、ブルーになっています。
大人ならわかっていることですが、世の中なかなかうまくは回りません。
自分にとって大切な人が違う道を歩んでゆく。
しかも、その道がおそらく自分と二度と交わることはない。
できることなら、それぞれが自分の道を歩みながらも、時に交歓したい。
そんな未来が閉ざされたと感じることがありました。
それが人生というものなのかもしれません。
だから、センチメンタルな気持ちは捨てて前を見てまっすぐ進んで行かなければならないのかもしれません。
でも、私はそこまで強くもなく、自分に自信もありません。
誰かに支えてもらわなければ、この先やって行けないと思っています。
自分にとって本当に大切なものだけを考えるべき時期が来ているのかもしれません。
もっと強くなりたい。
過去の半身を捨てて新しい未来に向かっていける挫けない心が欲しい。
こんな私でも一緒に歩んでくれる、「しようがないな」と言って支えてくれる仲間がいる。
何よりもそれが心の救いとなっています。
過去を振り切り前に進むにはまだまだ悩むことが多いと思います。
私と歩みをともにして下さる方々へ。
どうぞ、いつまでも一緒に歩んで下さい。
一緒に悩んでください。
私にはそれしかできませんが、よろしくお願いします。

今日は清明節

清明節という言葉を聞いたことがある人は多いですが、沖縄を除く日本にはあまりなじみがないですよね。
清明節というのは、中国で墓掃除などをして祖先の供養をする、日本のお盆にあたる日です。そのため、中国ではほとんどの人がこの時期に休みとなり民族大移動が起きるわけです。
また、この清明節にあたるのは毎年梅雨を迎える少し前で、二十四節季では春分の次にあたる四月五日ごろとなります。
今回はこの清明節についてのお話です。

清明節の風習ですが、中国の春秋時代の有名な晋の重耳(宮城谷 昌光署の「重耳」は私のおススメの一冊です)、晋文公に仕えた介子推の故事に由来します。
介子推は文公が国を追われて流浪の旅の最中に、飢えた君主のために自らの股の肉を削いで焼いて食べさせたと言われています。このように苦労して文公を晋の国王につけたのですが、文公が国王になった際に恩賞を与えられることを忘れてしまいました。
しかし、介子推は文句ひとつ言わず年老いた母親と綿山という山に隠居しました。彼は恩賞や出世のために君主に尽くしたわけではなかったのです。

介子推に恩賞を与え忘れたことを家臣から指摘された文公はあわてて介子推に使いを送りましたが、介子推はこれに応えませんでした。そこで文公は王自らが綿山に出向き、介子推を呼びましたがやはり出ては来ません。そこで、文公は介子推を山から出すために山に火をつけさせました。火が消えても介子推は現れなかったため、探してみると山中で介子推母子は焼け死んでいました。彼の死体の横には「割肉奉君尽丹心,但愿主公常清明。柳下作鬼终不见,强似伴君作谏臣。倘若主公心有我,忆我之时常自省。臣在九泉心无愧,勤政清明复清明」と文公の政治がいつまでも「清明」であることを願った誌が刻まれていたそうです。

介子推を死なせたことを後悔した文公は自らの過ちを世間に知らしめるために「綿山」を「介山」と改めました。そして、人々は介子推の(欲のない)を尊敬し、毎年その日には一切の火を使うことを禁止して冷たい食べ物だけを食べるようにしました。それが「寒食節」のはじまりです。この「寒食節」の日に人々は介子推の魂を弔っていたのですが、そのうち介子推だけでなく祖先の霊も弔うようになり、「寒食節」=祖先の霊を弔う日 となりました。
この「寒食節」は二十四節季の「清明節」の直前であったため、「寒食節」=祖先の霊を弔う日=「清明節」と一緒になってしまいました。

今では、「寒食節」の風習が廃れてしまったため、祖先の霊を弔う日=「清明節」と考えられるようになりました。
日本ではこの少し前に春のお彼岸でお墓参りする風習がありますが、日本でも中国でもこの時期にお墓参りする習慣があるのは寒さが落ち着いて暖かくなるからなのかもしれません。
「清明節」、少し悲しい故事ですがいいお話だと思っています。

新年度がはじまりました

仕事柄4月1日から新年度がはじまるのですが、なかなか「気持ちを一新して」ということができない性格で困っています。

通勤時にフレッシュマン(この言葉は死語?)が真新しいスーツに身を包んで会社に向かうのを見ると、何だかプレッシャーを感じてしまいます。新社会人、新入学のみなさん、新しいスタート頑張ってください。中年のオヤジもフレッシュな気持ちで頑張りたいです。

だから誰かフレッシュなネタを分けて下さいな。