同じ話は重なるもので・・・

ある夏に自宅でゴーヤを栽培して、食べきれないほどの大豊作でした。で、そんなときに限っていろいろな方からゴーヤのおすそ分けをいただき、毎日食卓がゴーヤ祭りだった「苦い」体験があります。
いきなりくだらない例で申し訳ないのですが、何かの拍子で同じような話が耳に入ってくることがよくあります。

最近、知り合いから「何のために合気道を続けているのかよくわからなくなっている」「このまま合気道を続けるかどうか迷っている」という話(というか愚痴だと思うのですが)を続けて聞きました。
合気道、いや武道全般についていえると思うのですが、目的は別に何でもよいのではないかと思います。例えば、ビールをおいしく飲むために体を動かして汗をかく、仕事以外の仲間を見つけに行く、稽古に行くことを考えると会社のストレスが発散される、など別に不純な動機などというものはないと思います。
ただ、当然の流れでそういう話の際には「どうして合気道を続けているのか?」と聞かれます。
私の答えは単純で「うまくなりたいから」。もちろん、稽古後の飲み会は大好きですし、仲間とのおしゃべりも楽しいです。が、やっぱり何と言ってもうまくなりたい。やはりこれが一番にあります。「うまくなりたい」と思って稽古していると、稽古自体も楽しくなる(と私自身は)思っています。
稽古は厳しい方が好きなのですが、楽しくない稽古は嫌いです。一見矛盾しているように聞こえるのですが、稽古の先にあるものに希望を抱いて行える稽古は「楽しい」し、稽古自体の目的が見出せなかったり、余計なことに気を遣って稽古に集中できなかったりするのはつまらない。
私は単に稽古好きなので、そんな風にしか答えられないのですが、そんな話をしたら「少し吹っ切れた」と言ってくれた友人がいたので、ちょっとブログにも書いてみようかなと思いました。