稽古の継続3

この話は大学生で稽古していた人が、社会人になると大半が稽古をやめてしまう理由を考える、というテーマです。
言い直さないと自分が本題を忘れてしまいそうだ。

で、続きですが、第一の問題点はレベルが上がるほど「目標が設定しにくい」ということにあります。それでも大学を卒業するくらいまでは「とどまることなく技がかけられる」などそれなりに目標は立てられるのですが、大体これくらいのキャリアになってくると「次に何を目標にしたらよいか」が見えにくくなります。
一定の動きや技ができるようになると、(上達意欲のある人は)次の目標が必要となります。その際、今できていることは当然目標にならないわけですから、今できていないさらなる高みを目指すことになります。
大学生のクラブの場合、卒業するころにはすでに最上級学年であり、自分に明確な目標を立ててくれる先輩は周囲にほとんどいません。そのため、自分の目標を自分で設定しなければならなくなります。
もちろん、究極の目的ははるか先にあるわけで、その目的のために日々の稽古を積み重ねればよいのだ、という正論は成り立ちます。ただ、ほとんどの人はそんな遠大な目標に従って稽古をすることはできません。
ある程度短期中期で意識できる目標を設定しなければやる気がなえてしまいます。
この「近くの具体的な目標を見失ってやる気がなくなっていく」が型稽古を主体とする柔術の持つ第一の問題点だと思います。

第二に上達に時間がかかる、ということも大きな問題点の一つだと思います。ただし、この問題点は第一の問題点と密接にかかわっているので切り離して考えることはできません。
仮に短期的な目標が設定できたとしても、どれだけ稽古をすればその目標に到達できるかわからなければ、稽古は苦痛になります。「継続は力なり」と簡単に言える人は才能にあふれた人で、今の自分がどれくらいの力を持っていてあとどれくらい稽古すれば次の目標を達成(あるいは近づくことが)できるか、は自分自身にはなかなかわかりません。そんなに強い心を持っている人はなかなかいません。
大学生の場合ここでも、近くで自分のことを客観的かつ(当事者の目線で)見守ってアドバイスしてくれる上級生等がいなければなかなか第二の問題点は解決しません。上級生がいても、その人の視点が悩んでいる当人の視点とずれたアドバイスをすれば、結局本人の悩みは解消されず稽古が苦痛になっていきます。
私の知っている人でも大学卒業後長きに渡ってきちんと稽古して、かつ上達している人はそうした先輩たちに恵まれている場合はほとんどです。

第一と第二の問題が合わさるとさらに悲劇的です。短期中期的な具体的目標があやふやにしか設定できない上に、その目標がどれくらいで達成しうるかという見通しすらたたない。これはもう、全く先の見えないトンネルをトボトボと歩いているようなものだと思います。大学四年生くらい(段位でいえば二段をとる前後位)にこのトンネルに入ってしまう人は多く、稽古しても自分がうまくなっているのかわからない(もちろんなっているのですが、自分が納得できなければ結局意欲に結びつかない)、今までできていた技もできなくなったような気がしてしまう、という気持ちになることが多々あるようです。
加えて、最上級生としての立場や段位などから受けるプレッシャーで「うまくならなければならないのにうまくなれない」という本当にかわいそうな心理になる場合もあります。
その先の話は次に送るとして、

第三の問題は試合などの「明確な基準」がないことです。本来柔術においては、基準は自己の内部にしっかりと作るべきなのでしょうが、これまでにも述べてきた通りよほど精神的に強い人でない限り何らかの依拠できる基準は欲しいものです。
仮にそれが正しい基準ではなくても試合の結果など具体的に明確な基準があれば、それをよすがに稽古を継続することがしやすくなります。これも上の問題と同じですが「うまくなっているよ」と言われるだけではやはり、抽象的すぎて納得はできないのが人情ではないかと思います。<また続く>

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