蒼氷さんから、「保護者=未経験者に合気道を体験してもらう」ことと「合気道を教える」「合気道技を素人にかける」ことについてどう考えるか、という質問をいただきました。
ありがとうございます。
折角なので、個人宛ではなくここに書いてみようかな、と思います。
まずは具体的な内容からの方が入りやすいので、タイトルの通り。
黒帯になった頃からずっと思っているのですが、合気道の初心者に技をかけるのは非常に難しいと思っています。
例えば今回の保護者の皆さんのように、そもそも「子どもが体験しているものを体験したい」という目的で合気道をやってみる場合においては、合気道の技術的な側面への関心はあっても合気道の武道としての側面への関心は薄いわけです。
具体的に述べると、本来「武道」は相手を攻撃するという敵の加害意思に対抗するものです。なので、例えば手を取るという行為にしても、それは「技をかけてもらうために手を取る」わけではなく「相手の攻撃を防ぐ」「相手に攻撃を仕掛ける」「相手を抑え込む」など積極的な攻撃意思を持って行われるはずです。その両者の相違は武道を修練している人であれば誰でもわかると思います。
平たく言えばこちらが技をかける時にどのように反応するか、という形になったりして現れるわけです。相手を制する意思のない人にとっては、技をかけられたら痛い思いをしないうちに手を放します。最初から痛くなったら手を放そうと思って持つわけですから、逃げることに対しての用意は周到であり、また手を放した後に相手から攻撃を受けることも想定はしていません。
合気道を始めて以来ずっとこの点は疑問として消えないのですが、そういう相手に対しても有効に技はかけることができるが自分が未熟なのでかけられないのか、それとも相手の積極的な攻撃意思が前提として存在しないと技はかからないのか、未だに悶々としています。
もちろん、逃げる相手の手や手首をつかんで投げれば投げることはできます。少し合気道ができるようになって相手を投げたくてたまらない位の時期にはよく、切れた手を掴んだりして無理やり投げたりしますが、それは力で投げているのでやはり合気道の本質とは違う気がします(そもそも自分から掴んだ場合どうしても投げ方も力を入れた形になるわけですが、そういう投げ方があまり利かないのは皆さんご存知の通り)。
というわけで、初心者や普段自分達が当然の前提として考えているものをそもそも共有していない人に技をかけることは非常に難しいと思います。ただ、反対に普段の稽古ではあまりに前提とするものが固定化されすぎていて、もしかするとかからないような技までかかってしまうこともまた事実だと思います。
よく冗談で私が技をかけた後に「お弟子さんが上手く受けているからかかるんだ」と戯れて言うことがありますが、あながち全部冗談なわけではないと思っています。合気道という設定下で稽古をするうちに、身体的な共通認識・前提論が支配的になって、「本来のありうる状況」よりも効率的に技がかかってしまうことは往々にしてあると思います。いわゆる馴れ合いというやつです。
問題はこの時点で、武道としての実践論あるいは精神論を唱えて初心者的な振る舞いを否定・排除する(それゆえそういう相手に技をかけることはそもそも考えないし論じない)考え方もありますし、それはそれで非常に正論だと思います。
これは完全に私見ですしむしろ少数派に属すると思いますが、総体的な武道としての合気道から技術的な側面を抽出して考えることは可能であり、また稽古・鍛錬という点では全く無意味ではないと考えます。それゆえ、上記のような初心者に対して技術的にどこまで技をかけることが可能かを追究するのは非常に意義あることだと思いますし、自分としてはとても勉強になると思っています。経験者同士、馴れ合い中で失われたものを体験できる機会は本当に稀だと思います。
今回の体験会も本当に初心者しかも大半が女性という条件で技をかけるのはとても稽古になりました。おそらく普段の稽古で技をかけるときの数倍は意識を集中したような気がします。初心者というのは、本当に稽古を積めば積むほど出会うことが少なくなる非常に価値ある鑑だと思います。