稽古と目的

いつも思うことですが、合気道は性質として精神的なものが重視されやすい傾向があるように感じます。
柔術といものがなかなか難しいためか、特に一定の基本の形をそれなりにこなせるようになった人が「次に何を目的にしたらよいか」で悩むことが多いような気がします。
そういう時期にはつい、内向的な考え方をしてしまい、「合気道はこうあるべきだ」「稽古はこうあるべきだ」という精神論を重視してしまいがちな傾向があるように思います。
精神論自身は別に何も問題はないと思うのですが、身体を動かす稽古と精神論のバランスが極端になると(特に身体を動かす稽古で行き詰っていたりすると)稽古を続けることが負担になったり苦痛になったりすることもあるのではないかと思います。
悲しいのは、合気道が好きで一生懸命やっている人が難しく考えて稽古ができなくなってしまうことです。
あまり深く考えないで、ともかく身体を動かせばよいのではないでしょうか。