剣術についてその2

体術においても同じことですが、剣術でも一つの技を行おうとする時に身体に求められる要素は多岐に渡ります。
体術の方が少しばかりイメージしやすいと思うので例えばメジャーどころである片手持ちの側面入り身について記しますと

1,掴まれた腕を必要以上に力ませない
2,掴まれた腕を動かす際には掴まれた場所から出来る限り遠くの筋肉を使う
3,相手の体側に入り身する際に足で地面を蹴らない
4,3の際に体幹部以外の筋肉を固めない。
5,呼吸の流れを止めない。
6,自分の力の流れに方向付けをする。

個々人によって異なることですが私の中では上述の様に考え、自分に足りない要素を練磨するよう心がけています。

同様に、剣術においては例えば袈裟斬りについて要素を分解すると

1,剣を手の内で持ち続けられているか
2,手首、肘、肩に力みが無いか
3,剣を運ぶ際になるべく手から遠くの筋肉を使っているか
4,呼吸を臍下丹田に収めることを意識しているか
5,足運びの際に地面を蹴らず、足を力ませず、バランスを崩さず動けているか
6,重心が上下動せずに動けているか
7,ものうちに力を出すことを意識しているか。途中で剣先が死なないか。

この様に様々な要素が一つの動きにおいて存在していますので、指導している際に聞かれることとして『この技において私とスキンさんと何が違うんですか?』という問いに対しては何もかもと答えるしか有りません。少し丁寧に書くと『何もかもがある程度は出来ているがあなたの求めているイメージ通りの動きをするには何もかも足りていない』となります。そして特に足りていないものをその時々指摘するようにしています。しかし特に足りていない部分を伸ばさなければいけないのは勿論ですが、最終的には全要素を均一に伸ばさなければならないと思います。

ただし、ここで勘違いを防ぐために申し上げたいのは、あくまでご自身の身体作りに関しては足りない点をどんどん補うべきですが技に関してはそうとは思っていないという点です。

全ての技を、誰にでも上手くかけられるのは理想ですがそんな理想は師範と呼ばれる方々でも難しいと思います。またそういう方は臨機応変に、相手と状況に応じた技を用いられます。

ですがどうしても練習だと、技と相手を固定して行いますので相手の体格との相関において不適切な技を練習せざる負えない場合も多々あります。不適切というと語弊があるかもしれないので言い換えると、その人の現在の力量や体格において技の行いやすさに大きな難易度の違いが存在します。この前提を無視して技をかけることに固執すると、いきなり身体が出来上がるわけも無いので無理な力の使い方やその場のその人にしかかからない技を追い求めるという結果につながります。ですのでかからないならかからないで、技をきれいにかけることに囚われず現在の自分の未熟な点を見つめつつその技の動きから鍛えられるべき部位をコツコツ鍛えることが良いと思っています。

上述からは体術をイメージされるかと思いますが剣術も同様です。全ての技をある程度しっくりいくようにこなすには身体作りが不可欠です。身体が出来上がるのを待っていると生涯かけても合戦にいけるかわからないので、ある程度形を覚えたら先へ進み、合戦までいって袈裟斬り・正眼の構え・無構えに戻るというのでいいんじゃないかと思います。

護身術という意味においても、いろんな技が使えることよりも適宜身体が反応してスムーズに動けることが大事だと思います。こういう面から考えても、一つ一つの技に固執する癖はつけない方がいいのではないかと。

身体と技、どちらかだけが先に完成するということは決してありません。一つの事に集中することは良いことではありますが、固執して視野を狭めることはせず、視野を常に広く持って稽古を続けたいと思っています。(難しいですが)

「剣術についてその2」への3件のフィードバック

  1. う~ん。難しかった。
    でも、ちょっと気が楽になった様に思います。
    性格上、あれもこれもすぐに物色するタイプです^^
    もう少し突き詰めた方が良いとは思うのですが、長く続かず、、、
    というか行き詰ると、動けなくなってしまうので、リセットする意味もあって
    「まあいっかぁ~」となるわけです。

    ところで、袈裟切りの分解の記述で
    7,ものうちに力を出すことを意識しているか。途中で剣先が死なないか。
    「剣先が死ぬ」とはどういう状態なんでしょうか?
    また、土曜日にでもご指導ください。
    宜しくお願いします。

  2. 人によってもちろん解釈は異なるとは思いますが、私が考えている、剣先が死ぬということを体術の面からと剣術の面から記載したいと思います。

    体術をする際、手を張れといわれることがあると思います。しかしこの際に力いっぱい手のひらを張るというよりは、すべての指先が軽く引っ張られているぐらいの感じで手の平が開くというイメージが良いでしょう。そして体術をする際にはその状態を最初から最後まで維持して行えるほうが、行えないのよりは良いと思います。そして意図せずしてこの指先の緊張がなくなる状態を指先が死んでいると呼んでいる方が多いと思います。

    同様に剣術を行う際にまず習う正眼の構えに関して。自分の臍下丹田から相手の眉間に向けて剣が貫く位置に剣を構えますが、その際に剣をただその位置に維持するというよりは軽く剣先を引っ張られているようなバランスで剣を維持する必要があります。そしてそのバランスを維持しつつ、剣の重みを利用して剣を操ると私は教わりました。ゆえにこのバランスを失って、ただ持っているだけになることを剣先が死ぬと表現します。ただ持っているだけだと、バランスを維持している場合に比べて剣先に伸びがありません。

    これは体術で指先が死んでいる場合も同様のことが言えます。
    土曜日に少しでも実感していただけたら良いんですが。頑張ります。

    1. 先日は有難うございました。
      「剣先が死ぬ」状態、出来るかどうかは別ですが、
      意識は可能だと思います。
      土曜日にこのコメントを読んでいなかったので、
      その時はただ構えているだけだったんでしょう。
      ほとんど、剣の稽古をしたことがなく、
      基礎の基礎から教えていただいた土曜日の稽古は
      大変有意義でした。
      普段でも時間をつくって出来るだけ剣を振ろうと
      思います。

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