道場を始めた時からこれまで一貫して軸にこだわった稽古をしています。
私の師匠も近年特にそうですし、講習会等でいろいろな先生方に学ぶごとに、軸の大切さを再認識します。
非力な人が、あるいは力を使わないで技をかけようとする場合、言い換えれば極力力を省いて技をかけようとする場合、「筋力的な力」に替わる別の「力」が必要になります。
一見すると合気道の技は不思議な理によって出来上がっているように思えますが、同じ人間が地球の重力の支配下で運動している以上、一般的な物理法則の支配から逃れることはできません。
合気道の不思議?な崩しや技も突き詰めれば、やはり通常の物理法則に従っているのです。
その点については、また別の機会に考えてみたいと思いますが、ともかく物理法則に従っている以上、
相手を動かして投げる=ある一定の力を必要とする
ということになります。
柔術が突き詰めようとする点の一つは、その力をどこから持ってくるか、ということではないかと思います。
合気道の場合、相手を崩したり制したりする力を、「筋力的な力」ではなく「体幹の安定によって生じる(失われない)力」に求めていると思います。
ただ、その「体幹の安定によって生じる(失われない)力」を出す(維持する)ことが難しいのです。わざわざ( )書きしているようにその力自体の感じ方、発露の仕方そのものから人によって主観的な感じ方が異なる力のような気がしています。
人は大型動物なので、かなりの膂力を有しています。特に合気道をはじめてまもない頃はその膂力を使って相手を投げているわけで、その力を使わないで同じだけの物理的効果を求めようとしたら、それは簡単ではありません。
加えて生物学的に「力を使う」ことは自然なことでもあるので、合気道的な軸への追究はある意味、かなり不自然な行為なのかもしれません。
とはいえ、多くの先生方が力を使わない合気道を体現なさっていることを拝見しても、そうした不思議な理への憧れが尽きることはありません。そして、「筋力的な力」を使わないというマニアックかつ高度な技術を身に着けるために不可欠なのが軸の意識と正中線の意識だと考えています。
先ほども述べましたが、その技術を身に着けると傍からみて魔法をかけているように見えるほどのものです。そう簡単には身に付きません。その稽古途上においてはむしろ「何やっているんンだ」と思われるようなことも多々あると思います。しかし、遠い遠い目標に向けてあくまで軸にこだわる合気道をしてみたい、と個人的にも思いますし、きっとそれだけは間違っていないと考えて稽古しています。Noriさんがそうであるように、あくまで徹底的に軸にこだわることは大切だと思います。