身を守るための武道

ここしばらくテレビのニュースで、凄惨な事件や女性を狙った卑劣な犯罪、ドラッグがらみの事故などを耳にしていろいろ考えています。

どの事件や事故でも被害者には一切過失はなく、ある日いきなり被害に遭っています。
多くの犯罪等については「そういう危険のある場所に近づかない」という対応策が唱えられますし、それは正しいと思います。

しかし、ここ最近の事件を見ていると本当に「避けようがない」ものが多いような気がします。
こういう犯罪や事故に対してまですべて可能性を排除しようとすると、下手するとどこへも出かけられなくなりそうです。
もちろん、わざわざ危険性の高い場所へ行くのは論外ですが、「普通は危険だと誰も考えない場所」(たとえば駅前の広い歩道の上など)を避けることはできないし、そこまでしたくはありません。
でも、確率論的には非常に低くても、事故や犯罪には遭いたくない。

結局は「予想外の危険に対応できる力」が何よりも重要になってくるように思えます。
例えば私のような男はひったくりや暴漢にまず襲われませんが、女性はターゲットになりやすいでしょう。
でも、常に危険を想定して歩くこともできないですし、先ほど述べたように事前に可能性を排除していてはどこへも出かけられません。
となると、危険の起こる直前に危険を感じ取るか、いきなり降りかかった災難の矛先をそらして被害を防ぐ、またはできるだけ小さくする、ということが実は一番大切なのかもしれません。

そう考えると、女性や子どもにこそ武道は必要不可欠なもののような気がします。
道場ではいつも話をしていますが、武道で肝要なのは戦うことではありません。
極力戦わない、でもいざという時のために身体と心を鍛えておく。
また戦いについても、一律の基準やものさしはありません。
いざというとき、個々が目的とする成果を達成できればそれがその人にとっての勝ちとなります。

女性であれば(もちろん男性でも同じことが言えますが犯罪の話なので特に女性は)、相手を打ちのめして満足するのではなく、自分の身に降りかかる災難をかわすというのも立派な戦いにおける勝ちであると思います。相手を叩きのめすまで戦う必要はないですし、そもそもそのために戦うわけではありません。
そういう「戦闘」を目的としない鍛錬ができるのが武道であり合気道であると思います。

いやな時代ではありますが、自分の身は自分で守らなければならないですよね、やっぱり。

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